堕ちます……あなたと。25

 深海視察

「久し振りに会ったのに、つれねえな――。
 また鬼ごっこしてお兄さんと遊んでくれよ。あっ、忘れてた。ユキナちゃんは、トイレでかくれんぼする方が好きだったっけ?」

 その言葉で、身体が動かなくなる。
 呼吸が乱れる。
 つかまれた手を引いて身を離そうとすると、男の身体が前に回り込み、壁に手首を押し付けられた。
 男の顔が目に前に迫る。
 嫌でも視界に入る目障りな顔に、見覚えは無い。
 
 当然だ。
 十年も前のことだ。
 それでなくても、自分を犯した男の顔なんてすぐにでも忘れたい。

「今からユータとホテル行くんだろ? 俺も連れてってよ――、あの時の仲間もみんなユキナちゃんに会いたがってるしさあ。団体割引使えんじゃん?」
「舞野のこと、知ってる、のか……」
 
 舞野は、あの時の画像を持っていた。
 この男と舞野がグルってことも考えられる。あいつは裏で何考えてるか分からない男だ。

「当然だろ。あいつにユキナちゃんの写メ売ったの俺だからな。上手く撮れてただろ?」
 いやらしく笑う男の顔に怒りを覚えるどころか、恐怖しか感じない。
 こいつは舞野の友達で、俺があの写真を見た事も知っている。

 暗いトイレの個室。
 男の笑い声。沢山の足音。
 ひんやりとした教室の床。

 背中に感じる人の気配を思い出して、脊髄を冷たい血が駆け上がる。

「ユータの奴、ひどいんだぜ。ユキナちゃんに最初に唾付けたのは俺なのにさあ、あいつ横取りして、調子のって独り占めしやがんの。
 ユキナちゃんから言ってやってよ――。気持ち良いことは大勢でした方が楽しいってさ――」

 顔を横に向けて、接近する酒臭い男の顔を少しでも遠ざける。
 身体が密着する。
 腰に回る男の手。
 唇の間隔、残り五センチ。

「おい。邪魔だ」 

 静かな声で、空気が一度止まった。

 低く凄みのある男の声に聞き覚えがある。

 顔を上げると、いるはずの無い、同じ課の上司が立っていた。
 
「マ、マサトさん……! すっすみませんっ」
 目の前に迫っていた男は怯えた声を出し、身体は慌てたように遠退いた。

「トモヤ。お前はくだらない事しかしないな。邪魔だ。トイレに行けねえだろ」
 冷気を帯びた表情が、自分の知っている上司の顔ではなかった。
「いや、そのちょっと。こいつと話を……」
 俺の肩に手を置き、男がたどたどしく言う。
「聞こえないのか? 邪魔だ。さっさと失せろ」
 トーンを抑えて迫力を増した声に、トモヤと呼ばれた男はひるんで後ずさり、逃げるように廊下の奥に消えた。
 トモヤ……。そうか、あいつは十年前に俺が隠れていた個室のドアを蹴った男だ。そしてトイレの外で待ち伏せして、一番に俺の肌に触れた。
 嫌な思い出が染み出して、身体が重たくなる。


「雪菜。こんな所で、何してる」
 安藤は振り返って、男が姿を消したのを確認した後、俺に詰問した。顔をしかめてはいるが、先程の押し潰されそうなオーラはもう無い。

 ピンストライプが入ったダークグレイのスーツに、品のある黒いワイシャツ。上から二個程ボタンを外し襟元を開けて、たくましい喉元がいつも以上に強調されている。
 そのせいか、会社での印象とはずいぶん違った。少し闇の匂いがすると言うか、色気がある。着ている物はいつもとさほど変わらないのに、清潔な会社員には見えず、この場所にいるべくしている人物のように感じた。
 
 壁から背中を離して、自分のスーツを整える。
「何って……その、夕飯を食べに……。課長こそ、こんな所で、何を……」
 少し間を置き、安藤が俺を見据える。
 舞野と来たとは何故だか言いづらい。

「俺は野暮用だ。ここのオーナーと腐れ縁でな」
「オーナーって、キング……ですか?」
 このバーのオーナーはキングと呼ばれる悪名高き男だ。顔を見た奴に会ったことは無いが、キングといえば大抵の奴には話が通じる。
 金と犯罪にまみれた裏社会の住人。どうしてそんな男と安藤が繋がってるんだ。
『安藤さんて、本当はヤクザだったりする?』いつか自分が口にした冗談が、あの時とは違う重みを宿して身体の内部で響く。
 
「キング? ああ、そう呼ぶ奴もいるな。今じゃその名に相応しくない、清潔なただのガキだ。恋人に惚れこんで骨抜きになってやがる」
「それなら、俺も聞いたことあります。キングの買い物でしょ?」

 少し前だったか、俺がまだこの店によく出入りしていた頃に聞いた。
 あのキングが本気で人に惚れて、そのせいで裏社会がごたごたしているらしい、だから最近このバーの周りには物騒な輩がウロウロしているんだと、そんな内容だったように思う。
 ここのオーナーが本気で人に惚れると何故裏社会が荒れるのかは知らないが、キングの人間味ある噂を初めて耳にしたので、キングも一応人間なんだなと在り来たりな感想をもった記憶がある。
 キングは人を金で売買する。買われた人間はキングの持ち物で「キングの買い物」とみんなが呼んでいる。
 キングが本気で惚れたのは新しいキングの買い物で、若い男だという噂だ。 

「でも本当にいるんですか? キングの買い物なんて。俺、ただの噂かと……」
「いるな。そいつが来るから俺は部屋を追い出されたんだ」
「キングの買い物にも、会った事があるんですか?」
「知らなくても顔見りゃすぐに分かる。若いし、熱に浮かれて溺れた目してるからな。あんな顔してるのは、こんな店の中じゃあれくらいだ」
 顔を知らないのに表情だけで人の見分けがつくとは思えない。
 安藤はキングの買い物に会った事があるから、そう言えるんだ。

 キングだけじゃなく、キングの買い物にまで会った事があるなんて。一般の人間ではまあ無理だ。仕事上の付き合いとも思えない。
 裏社会との繋がり……。

 ずっと不思議に思っていた。
 本当に安藤は普通のサラリーマンなのかと。
 肩に残る大きな傷跡。
 高価なジッポに仕立てのスーツ。
 根拠の無い噂。でもそれは事あるごとに俺の頭をよぎる。
 携帯で誰かとあぶない会話をしていた事もあった。
 やけに社内のネットワークシステムに詳しく、俺が情報を流していることにも赴任早々気付いている。それでいて、今もそれをばらす気配は無い。
 資料室から持ち出した、役員名簿。

 そして何より、今朝ログインした安藤のパソコンの中身。

 キングの知り合いで、キングの買い物にも会った事があるほど親しい関係にある。

 今まで安藤に対して、違う感情をもっていたから気付かなかった。
 ある視点から見てみると、安藤にはあまりにもおかしな部分が多過ぎる。

「安藤さん……、あんた、一体……」
「一体……何だ?」

「給与台帳のデータなんて……何に、使うんです……?」
 
 声がかすれた。
 自分が安藤のパソコンを覗き見た事がばれることもいとわず、思ったことが口をついて出た。

 今朝、俺は安藤のパソコンにログインした。
 パスワードはやはり、自分の身体に刻まれたタトゥーの言葉。
 パソコンの中は、確かに俺が欲していた報告書やデータで溢れていた。
 ただ、一点だけおかしいな部分があり、その内容を見て衝撃を受けた。

 ログアウトのためにメニュー画面を開こうとすると、画面の右下に「!」マークが点滅している。
 それをダブルクリックすると『ドライブ(:D)に書き込む用意ができたデータがあります。書き込みを始めますか?』と表示が出た。
 どうやら安藤が前回パソコンでディスクにデータを移し変えた時に、移し忘れたデータが残っているらしい。何のデータだろうと無題のファイルを開く。

 画面が数字の羅列で埋め尽くされる。
 縦軸に個人名。横軸に一月二月三月と並んでいる。
 従業員の給与管理台帳。

 どうしてそんなものが、企画課の課長のパソコンに保存されているんだ。さらに安藤はこのデータを何かに移し変えている。

 安藤は俺の独り言のような声を聞きいて、不適に笑った。

「パスワード、わかったらしいな」
「どうして……あの言葉なんです?」

「別に深い意味は無い。言葉の通りだ」
 嘲笑うように軽く言った。

 言葉の通り……それにこそ深い意味があるように思えたが、今はどうでもいい。
 それよりあのデータだ。

「給与台帳は経理課が管理していて、限られた人しか触れないはずです。どうして、企画課のパソコンに……それが、入ってんだよ……」
 質問の核心に触れると、感情が混乱して敬語を忘れた。

 ひと月前、安藤が俺にデータを持って帰って何をしていると問い詰めたように、今は俺が安藤を同じように問い質している。
 立場逆転。
 この男には、俺よりもずっと底深い裏がある。

『普通、産業スパイを送り込む時っていうのは、それなりの専門知識を持ったやり手の社員を、金と裏ルートのコネで課長クラスにポンと入社させるんです』
 あまりにもタイムリーな後輩の言葉が、耳の奥で反復する。

 嫌な汗が背中を伝う。

「雪菜。お前に一つ忠告しとく。裏のことに足を突っ込みすぎるな。変な好奇心は身を滅ぼす」

「それは、脅しですか……?」

 安藤は笑った。
「脅しですか……か。聞き飽きたな、その言葉。俺もこの前使ったしな」
 そう言いながら、内ポケットから煙草を取り出し、くわえて火をつける。手に握られているライターが、俺のポケットにあるジッポよりずっと高価そうに見えた。
 
 ひと息目の煙を吐き出した男の顔が、先程までとは違って見える。
 部下に好かれる、やり手の上司の面影は微塵も感じられない。
 こちらを見下ろす無表情の裏に、触れてはいけない黒い闇が見える。
 舞野といい、この男といい、裏が無い人間なんて、俺を含めてこの世はいないのかもしれない。

「はっきり言っとく。これは脅しじゃない。警告だ。
 俺のパソコンの情報はくれてやるから好きにしろ。
 ガキはあれくらいで我慢して、大人しくしててくれ。俺も優秀な部下を失いたくはないんだ。いいな?」

 一度関係を持ったのが嘘のように、今は目の前の男に恐怖を感じる。
 俺は、なんて危険な男を好きになっていたのだろう。 

 煙草を吸いつけて、安藤が俺の横を通り過ぎる。
 振り返ることさえ出来ずに、足を前に進める。徐々にスピードを持って、逃げるような足取りで廊下の突き当たりを曲がる。
 
 
 息を整えながら、個室の前を足早に歩く。
 前から歩いてくる男の顔に目がとまった。
 見覚えがある気がする。
 いつか病院の待合室で見せられた、携帯の写真画面に写っていた男によく似ている。
 でも確か高校生だと言っていた。こんな場所で出会うはずがない。

 ところが近付くにつれて、男の顔が高校生のように幼いことに気付く。男じゃない、少年だ。背もまだ低い。
 それに着ているのは……。
 
 戸惑ったが、思い切ってすれ違いざまに少年の二の腕を取った。

「君学生? それ制服だろ」
  
 振り返り、こちらを向いた顔を見て、ゾッとした。
 虚ろに瞼を堕とし、開ききった瞳孔は底が見えない程黒くて深い。まるで深海を覗き込んでしまったかのような感覚に襲われる。

「あっ……。いや……、何も無い」
 少年から手を離して、踵を返す。

 安藤の言っていた意味がわかった。
 熱に浮かれて溺れた目。こういう目を言うんだ。
 初めて、表情だけで個人の判別が可能なのだと知った。

「何? 俺まだ何も言ってないけど……」
 
 少年の声はどこかふわふわとしていて、現実味が無い。
 
 待合室で見せられた写真の少年とは、似ても似つかない幸せに溺れた表情だ。
 やはり人違いだと苦笑が漏れる。

 間違いとは言え、手を触れるには危なすぎる人物だと知り、首を振って身体を離す。
 俺もまだ海には沈みたくないからな。 

「いや、いいよ。その溺れた目見たら誰でも分かる。
 俺もキングに喧嘩売る程バカじゃないからな。
 
 君、あれだろ? キングの買い物 」

 


【後書】
前作はここで、[完]でしたね。なつかすい。
前作「キングの買い物」を知らない方、今後小説を読む上でまったく差し支えありませんのでご安心下さい。
ちょっと気になるかも……な方は、こちらへドゥゾ♪(っ'ω')っ))→「キングの買い物

昨日残りの話数を指折り数えたところ、一番の山場で連休に突入してしまうことが判明しました。
……。
いえ、それだけです。ごめんなさい。

久し振りに「天空の城ラピュタ」のDVDを鑑賞しました♪
いや~いいなあ。ムスカは。キュピ──(。☆д☆。)──ン
そして改めて、ドーラのように歳をとりたいと感じました。目指せドーラ一家。
ムスカは百パー、マザコンで友達いない男でしょうが、何よりも眼鏡が好きなんです、私。(´ー`)チラネーヨ 同じ眼鏡でも、タイガーモス号のメカニックのじーさんは眼鏡違いでタイプではありません。
ムスカの、一応レディーファーストなとこや、たまに垣間見る我を忘れた顔がたまらんです。
どんな女が好きなんだろうとか、私にも流行のドレスを買ってくれとか、もういろいろ下心丸出しでDVDを見て―― 
         バルスッ!!(○ ̄∀ ̄)ノぇぃ♪ 
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