堕ちます……あなたと。9

 自分じゃない方
 
 ベッドサイドテーブルの置時計を見ると、いつも通り朝の六時だった。

 起き上がると身体中がきしみ、顔を歪める。
 
 痛みだけでは無く、肌がベトつく。それに微かに香水臭い。
 ハヤトが夜遊びした証拠だ。

 寝る前に風呂に入ってくれる時もあるが、シャワーも浴びずハヤトが寝てしまった日の翌朝は、俺が代わりにシャワーを浴びなければいけない。

 浴室へ向かおうとベッドから降りる。
 足元にあった紙袋を取り上げて、中を覗いてみると、お菓子の缶が一つ入っている。
 紙袋と缶の柄からして、どうやら二駅先の遊園地の土産らしい。
 
 そういえば、昨日俺は会社を休んで昼から眠った。
 ハヤトはそれから起き出して遊園地に遊びに行ったのか。
 ああ見えて案外律儀なハヤトは、昼間に出掛けると俺への土産を欠かさない。

 脱衣所で服を脱ごうとして、初めて自分が見た事も無いブカブカの服を着ていることに気がついた。
 ハヤトが新しく買った服かとも思ったが、それにしては使い込んだ感じがある。
 深く考えるのをやめて、シャワーを浴びた。ハヤトの行動なんて読めるはずがない。
 これでもかと言う程ぐるぐると包帯が巻かれている右手首を、濡らさない様に気を使った。

 浴室から出て身体を拭き、洗面所の鏡に映った自分の上半身を眺めて動きを止める。
 胸元一面に、花びらのような内出血の痕がいくつも舞っている。
 いつも通りだ。
 前の情痕が消える前に、また新しい痕が増えていく。
 この中のどれか一つでも、安藤が付けたものがあるのだろうか。
 そう思って、まだ桃色に熱を宿した花びらを指で触れる。
 あまり長く鏡に向かっているとハヤトが出てきそうなので、さっさと寝室へ戻ることにした。

 着替えてリビングへ入ると、思ったとおり昨日のままだ。
 床に散らばる陶器の破片。落ちそうなカーテン。裏返った灰皿。ビールの池に転がる空き缶。
 一箇所だけ違っていた。
 赤く点滅する電話のボタン。
 ほとんど使用しない留守番電話を使うのは、ハヤトくらいだ。

 足元に気をつけながら電話の所まで行き、点滅しているボタンを押す。
 品のある女性の声が日時を伝え、録音メッセージが一件ありますと続く。

 『もしも――し、シュン? 俺だ、ハヤト。今、安藤さんの部屋からだ。いいだろ? 安藤さん今入浴中だからさ――。この後ベッドインだ。ああ、悪い。お子様なシュンには刺激が強すぎるか?
 えっと、そんな事いうために電話したんじゃないんだ。今週末の日曜、安藤さんとデートだからお前一日寝ててくれ。それだけだ。
 てめえはさっさと部屋の片付けしやがれよ? 土産置いとくから、それ食って頑張れ。じゃな』

 壊れるかと思うほど強く、電話のボタンを掌で叩いた。
 そのまま床に払い除けると、音をたてて受話器が外れ、棚からコード一本でぶら下がる。
 遠くで途切れない電子音が空耳のように唸る。

 ソファーに座って頭を抱えた。
 出勤前に少しでも部屋の片付けをと思っていたが、無理そうだ。

 昨日の晩、ハヤトはまた安藤と会っていた。
 恋人同士なのだから自然なことなのだが、体調不良で会社を一日休んだ自分の立場や、録音メッセージの内容を思い出すと、また昨日と同じ頭痛が始まりそうだった。

 出来る限り思考を止めて、呼吸を整えることだけに集中した。

 
 会社に出勤して、二日ぶりに課長のデスクを前にする。
 安藤のパソコンを立ち上げ、鞄の中から取り出したメモリースティックを挿す。
 そろそろ欲しかった報告書が出来上がって、保存されているはずだ。

 ログイン画面が表示される。
 パスワードの枠にカーソルを合わせ、いつも通りの順番でキーボードを打った。
 IDは社員番号。パスワードは『0000』。
 セキュリティー意識の薄い新任課長は、初期設定のままパスワードを変更し直さずにいてくれるので、俺に悪用され放題だ。

 Enterキーを押すと、珍しくパスワードが違いますと赤字で再入力を促された。
 半角と全角を間違えたのかもしれない。
 もう一度慎重にゼロを四回叩いて、Enterキーを押す。
『パスワードが違います。もう一度入力しなおして下さい』
 同じ作業をあと二度繰り返したが、結局ログインすることは出来なかった。
 
 パスワードが変更されている。
 二日前の朝までは普通にログインできたのに。
 
 一昨日と昨日の出来事を思い出し、誰もいないオフィスで一人青ざめた。
 昨日社内のトイレでハヤトと会話した時、ハヤトは俺がしていることを知っていた。
 ハヤトと安藤の関係。
 このタイミングでのパスワードの変更。
 
 安藤に俺の行動がばれているかもしれない。
 ハヤトが安藤にばらす可能性は……どうだろう。自分の生活を脅かすような真似をハヤトがするだろうか。何より夜遊びが大好きな男だ。俺が職を失って一番困るのはハヤトに違いない。
 それにもし俺が情報を横流ししていることを安藤が知ったら、昨日の時点で俺に何か言うだろ。

 目的を失い、これからのことに考えを巡らせながら、久しぶりにオフィスの掃除を始めた。
 一年目の頃は毎朝の様にやっていた。大切なデータを盗ませてもらう、せめてもの罪滅ぼしだ。
 全員のデスクを拭いていると、入り口のドアが開いた。

「あっ、先輩! 体調もう大丈夫なんですか!?」
 舞野だ。
 そういえば一昨日の飲み会の時には、舞野にも迷惑をかけてしまった。
「そんなの僕やりますから、いいですよ。貸して下さい」と、俺の手から台拭きを取り上げようとする新入社員に、一昨日の醜態を詫びた。

「気にしないで下さい。本当は僕が部屋まで送るつもりだったんですが、課長に取られちゃいました。あの後、何もありませんでした?」
「あ、ああ……もちろん」
 本当はいろいろあって、そのせいで昨日会社を休んだんだとは言えなかった。
「よかった。あんな遊び人に、あんまり近付いちゃダメですよ」
 そう言いながら舞野は俺の頭を優しく撫でる。
「う、うん」と一応返事はしてみたものの、これではどちらが先輩か分からない。
 本当は立場をわきまえろと怒る場面なのだろうが、自分のことを心配してくれていたのだし、あまり怒りを覚えない体質なので作り笑いを返しておいた。

 舞野は安藤のことがあまり好きではないらしい。
 歓迎会の時も課長のことを「ただの女好き」と言っていた。
 そういえば安藤はバツイチだ。若い時はラガーマンで、かなり遊んでいて、離婚の原因も女関係だと噂に聞く。
 本当にそうだとしたら、遊び人のハヤトとお似合いかもしれない。恋人が出来ても夜遊びはする。そういう奴だ。
 今更ながらノーマルの安藤が、ハヤトと付き合うなんてちょっと意外だと思った。
 

 昼休みの時間になり、皆が席を立ち上がり部屋がせわしくなり始める。
 斜め前の席で舞野が勢い良く立ち上がる。
 パソコンモニターの間から顔を覗かせ「せんぱ――い。お昼ごはん……」と言ったところで、窓際の方から「おい、雪菜!」と野太い声が飛んできた。
 声のする方を振り向くと、やはり安藤だった。
「たまには昼飯付き合えよ」という課長の声に、舞野の顔が渋い表情をしてモニターの向うに下がって行った。

 自分の中のもう一人の人格と安藤が付き合う事になっても、俺が安藤を避けたいことに変わりは無かった。ただ安藤が自分の上司であることにも変わりは無く、食事に付き合えと言われれば付き合わなければいけない。
 ハヤトと安藤の間でどういう風に取り決めを交わしたのかは知らないが、安藤は俺に対して普段と変わらない態度を崩さないでいてくれた。
 今朝一番で昨日の欠勤を謝りに行くと、至って普通の対応をして見せた。

 階段で上の階にあがり、二人で社員食堂へ入る。
 安藤が食券機に千円札を一枚入れ、点灯したボタンの中からB定食を選んだ。
「雪菜は何にするんだ」と光ったままのボタンにもう一度指を向ける。
 おごってもらうつもりは無かったので慌てた。
 日替わり定食の内容を確認していなかったと後ろのガラスケースを振り返ったが、自分の背中に続く長蛇の列で見えない。
「すみません。じゃあ……俺、カレーうどんで」
 食堂に入ったときから漂うカレーの香りを何故か懐かしく感じていた。
 安藤がこちらを振り向き、無表情のまま一瞬間があいたが、何も言わずにカレーうどんのボタンを押した。
 
 どんぶり鉢を乗せたトレイを持って、喫煙席へ行こうとすると、安藤が反対の方向へ歩いていったので後に続く。
 向かい合わせで空いている席を見つけて座った。

「カレーライスじゃなくて良かったのか?」
 割り箸を割っていると、向かいの席から聞かれた。
「あ、はい。俺カレーライスよりカレーうどんの方が好きなんで……それにこっちの方が安いし。週に一回は食べてますよ」
 何を食べるか悩んだら、カレーうどんと決めている。
「そうか……」と言った安藤の反応が少しぎこちなかった。
「でもここのカレーは少し甘いだろ」
「そうですか? 俺辛いのダメなんで、これくらいがちょうどいいです」
 俺の顔を見つめたまま、安藤の箸が止まった。
 なんだろうと見つめ返していると「あ、いや。雪菜が仕事以外の話するの珍しいからな。ちょっと驚いた」と、不自然に笑った。
 ハヤトとは別の人格として扱われているようなので、少し安心する。

食事中何の話をするのかと不安を感じていたが、大した話はしなかった。
 主に仕事の話だ。
 変更されたパスワードについて何か情報が得られないかと耳を澄ませたが、そう上手くはいかない。
 人に隠してこそのパスワードだ。
 初期設定はゼロ四桁だが、小文字ならローマ字も使える。
 単純に誕生日にでも設定してくれていればいいが、それ以外ならお手上げだ。別の手段でデータを入手する方法を考えなければいけない。

 隣の社員が席を立ち去ると、椅子にもたれていた安藤が身体を起こした。
「なあ……シュン」
「は、はい」
 いきなり下の名前で呼ばれたので、驚いて姿勢を正した。
 急にどうしたんだ。
 舞野も飲み会の時に俺を下の名前で呼んだ。流行なのか。
 驚いて返事をする俺を、安藤が神妙な面持ちで眺めている。
「何ですか?」
「いや……お前、体調はいいのか」
 俺から目をそらして湯飲みに口を付ける。
「もう大丈夫だと、思います」
 席に着いてから安藤の様子がどうも、たどたどしい。
 ハヤトとのことがあるので仕方ないと言えば仕方ないのだが。

 安藤はポケットを探り、小さなメモ用紙を取り出した。
 それを俺の方へ差し出す。
 受け取ったメモを見ると「木村メンタルクリニック」とあり、下に診療時間と住所が書いてあった。
 安藤の顔を見上げると、やはり気まずそうな表情をしている。
「お前の体調が心配だから病院を紹介してやって欲しいと、その……ハヤトがな」
「ハ、ハヤトが!? ハヤトが……そう、言ったんですか……?」
 初めて安藤の口からハヤトの名前が出て、立ち上がりそうになるほど驚いた。
「……ああ。あいつも心配してる。俺もだ。その病院は知り合いに教えてもらった。良い医者らしいから一度行ってみるといい」 
 俺の手元を指差す。

 あいつというのは、俺の中の、俺じゃない方のことだ。
 俺を下の名前で呼んだのは、ハヤトと区別するためか。
 
 本当に信じているかどうかは別にして、俺とハヤトを区別して扱ってくれることは実に喜ばしい。

 それなのに、何故か身体がどこかに堕ちていくような嫌な感覚に襲われる。
 手を伸ばして何かにつかまりたい気分になる。
 
 安藤が心配しているのは、俺じゃなくて同じ身体と顔の、自分じゃない方の男だ。
 ハヤトが心配しているのは、俺じゃなくて知らないうちに傷ついていく、この肉体だ。

 堕ちていた身体が打ち付けられた場所は、誰も自分を必要としていない真っ暗な闇だった。

 今、目の前にいるのが俺では無く、ハヤトだったら安藤は喜んだだろうか。
 ハヤトの曇りない笑顔が浮かぶ。
 俺が消えれば二人は喜ぶだろうか。
 
 広い背中の後姿を眺めながら 
 いつのまにか一人立ち尽くしていた。





【後書】
今回はあまり展開の無い内容でしたね……。
あ。R指定を楽しみにして下さっていた方。申し訳ないです(;゚д゚)ェ. . . . . . .

昨日はイラストを載せたからか、軽い内容だったせいか、たくさんの拍手を頂きまして、ありがとうございます┏○ペコ
くだらない後書はやめて、勢いの薄れないうちに執筆に向かいます。
ではでは。

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