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転じて吉[第十六話]

今回も1万字超の長文となっております。
ムーンライトへは2回に分けて投稿させて頂きます。



『試練迫る』


「あ、そういえば昨日ーー」

 透明感のある爽やかな褐色の瞳が突如こちらを振り向いたので、貴崎 祐は慌ててトレーの上のジュースを掴み取った。

「祐の補習が終わるの待ってる間にね、野木と旧校舎に行ったんだ」

 柔らかな声にふわりと包み込まれる。
 ガラス越しに広がる商店街の人混みに視線を落として、貴崎はカウンターテーブルに肘をついた。

 灰色の雲を鋭く切り裂くオレンジ色が今にも燃え尽きようとしている。夜は近い。

「マラソン大会で使うテントを確認するとかでさ……ほら野木って体育委員だろ? それでね、旧校舎に行ったら、向こうの入り口で、久遠に会ったんだ」

「……久遠? うちのクラスの?」

 そうそうあの金髪にピアスのーーそう言って、慣れた手付きでハンバーガーの包みをめくる。
 西洋彫刻のように整った綺麗な顔が、迷い無くひと口目にがぶりと喰らいつくのを横目にして、貴崎の心臓は大きく一つ高鳴った。

 恋人同士であり、自分が相手に相当溺れているというのを差し引いて見ても、隣に座る奴はずるいほど魅力的である。

 当の本人ーー成宮冬馬は素知らぬ様子だ。

「でねーー」と冬馬が話しを続けようとした矢先、背後できゃきゃと笑い声がした。

 冬馬が振り返る。
 パーマがかった柔らかな茶髪がふわりと揺れる。

 半分異国の血をひく冬馬にとって、透き通るような褐色の髪と瞳は紛れもない純正色である。ここに、校則を犯してまで髪を脱色し、カラコンを装着して足掻(あが)く他学生共を寄せ付けない成宮冬馬という圧倒的な格の違いがある。
 その上容姿に優れ勉強もスポーツも出来て優しいとなれば、モテて当然。大規模なファンクラブが存在しても誰も文句は言うまい。

 かくして貴崎 祐は、会員未知数と囁かれる成宮冬馬非公認ファンクラブを敵に回した訳である。

 貴崎がやや怯えながら振り返ると、階段を上がった場所に立っている数人の女子高生と目があった。顔は知らないが同じ高校の制服を着ている。

 貴崎はさり気なくトレーと椅子を引いて、冬馬との距離をとる。
 カウンターテーブルの下、密かに貴崎の手の甲に重なろうとしていた冬馬の手をさり気なく遠ざけると、幼馴染は一瞬眉をひそめて不満そうな顔をした。

 複雑な気分である。
 別にやましい事はしていないのに、まるで不倫相手と密会しているかのように怯え、挙動不審になる。

 目下、商店街を歩いていく恋人達が恨めしい。
 肩が触れ合う距離。手を繋ぎ、指を絡ませ、甘えた笑顔で言葉を交わす。
 人前で堂々とあんな風に出来ればーーやはり楽しいものなのだろう。

 溜息を一つ。ちらりと目線を流せば、幼馴染の長い指がポテトを一本掴み取る。
 美しく切り揃えられた爪。
 軽やかな音楽に似た声でクラスメイトの話をしている。

 ああ、あの指がーー。
 あの声。
 あの唇。

 あの身体、がーー。

 あ、ヤバいと眼をそらす。
 身体の奥がじんじんと熱をもつ。
 記憶がこぽこぽと溢れ出してきて止まらなくなる。

 初めての夜。

 いけないと分かっているのに、あの時の冬馬の視線を思い出してしまう。
 僅かに呼吸が乱れる。肌が震える。

 月明かりの中でこちらを見下ろす、あの眼。
 全てを捧げずにはいられない、あの視線。
 あれからは逃れられない。

 宝石に触れるような手付き。端整な指が肌の隅々までたどっていくのを思い返す。

 切な気な声に呼ばれ、幾度となく好きだと囁かれて求められる。沼に引きずり込まれるようにして心と身体がぐちゃぐちゃになっていく。
 深く絡み合い、濡れた一つの生き物になっていく。

 途中意識は飛んだが、確かに覚えている。
 全身が浮くほど打ち付けられて求められた事。

 冬馬の激しい息づかいが耳鳴りのようによみがえって、首元が過敏になるのを貴崎は感じた。
 狂ったように貪(むさぼ)られた上、最後は身体の中心に注がれて溢れるくらいに満たされてしまった。

 あの時は快楽よりも初めて人を受け入れる圧迫感が先行したように感じたが、思い出すだけで喉が渇き肌が干上がっていくのはどういうことだろう。

 まさかーーもう欲している。

 次の日は結局部活を休み、一日冬馬の部屋でゆるゆると過ごしてしまった。
 二人の温もりを閉じ込めたベッド。
 心地良い幼馴染の肌。
 子猫がじゃれ合うように一日中イチャついていた。
 事あるごとに貴崎の身体を心配する冬馬を思い出して、顔面が緩む。

 気が付くとまた幼馴染の香りの中で息をしている。
 あれからずっと、貴崎は抜け出せずにいる。
 あの夜に酔っている。

「で、その新しい彼女っていうのがーー。……祐? ね、祐? 聞いてる?」

 呼ばれて貴崎は我に返った。

「……ッ? あっ、ごめ……何……?」

「いや……久遠の新しい彼女がねーー」と言いかけた冬馬は、貴崎の顔を見て「祐……何考えてたの? 顔、真っ赤だよ」とからかう様に言った。
 頬がちりちりと鳴る。

「べ、別に……なんも……。あ、冬馬いいのか? 時間」

 話を挿げ替えると、冬馬は携帯の時計を確認して、やばいと呟いた。
「もうこんな時間だ」とハンバーガーの包み紙を丸め、急いでジュースを流し込む。

 それから恐る恐る貴崎の顔を覗きこむようにして、声をひそめた。
「あのね、祐。明日遊びに出掛ける話だけど、もし……祐が嫌じゃなければなんだけど……久遠が一緒でもいい?」

「久遠、と?」

「うん、久遠と……あともう一人。あ、嫌ならいいけどさ。でも遊園地に入ったら自由行動にするし……たまには友達とみんなで遊ぶのもどうかなって……」

 戸惑う貴崎を見て、冬馬はやっぱりという顔をした。
 友達とみんなでわいわい遊ぶ。貴崎が苦手な事の一つである。

「無理にとは、言わないけど……」
「いや、別に…いい、けど……」

 貴崎だって恋人を気づかうくらいの事は出来る。
 大切な恋人が望むのだから、嫌だとわがままを言う訳にもいかない。
 ただやはり、冬馬が望んでいるのは明るくて社交的な、誰にでも好かれる恋人なのだと痛感した。
 当然である。
 周りから好かれ、羨ましがられる恋人を嫌がる人間がいるものか。
 そういう意味で成宮冬馬は恋人として完璧である。
 それに比べ貴崎といえばーー。

 冬馬はホッとした顔で立ち上がり、カバンを肩にかけた。
「よかった……。じゃあ俺は朝練終わったら直接駅に行くから、祐は久遠達と先に待ち合わせて一緒に来てくれる?」

「えっ、あの……」

「なに?」

「久遠と、もう一人って……久遠の彼女?」

 貴崎が聞くと、まあねと煮え切らない答えが返ってきた。

「あ、これ待ち合わせ場所」
 小さな紙切れを渡された。

「これ……久遠の家?」

「うん、まあそんな感じ。10時に祐が行くって伝えとくから」

「10時ッ?」

「う、うん。ちょっと早いけど」

「いや、早過ぎね? だって駅で待ち合わすの昼前だろ?」

「ま……行けば分かるよ」と冬馬は言葉を濁した。

 貴崎が聞き返しても視線を合わせようとせず、「あっ! もう夜練行かなきゃ……」とわざとらしく言う。

 冬馬が貴崎に向き直る。
「ごめんね、送って帰れなくて」

 そっと前髪を撫でられ、貴崎は辺りを警戒した。

「いいよ、別に…」
「分かってると思うけど……知らない人に付いて行っちゃダメだよ」
「小学生かよ」
「あ、家着いたらメールして」
「わかってる……」
 貴崎が一人で下校する度にこのやり取りである。

「心配だな……。祐、最近ぼうっとしてるし」
 冬馬は呟きながら椅子を戻し、トレーを手に取る。

「じゃ、明日。待ってるから」と微笑む。

「うん」

 急に冬馬の顔が迫ってきたので、、キスをされるのかと貴崎は身構えた。

「あんまり、エッチな事ばかり思い出してちゃダメだよ」

 そう耳元で囁き、ちゅっと音をたて耳の下にキスをして去って行った。

 キスされた場所を手で押さえながら慌てて店内を見回す。
 幸い誰もこちらを見ていない。

 一階へ下りる階段の前で冬馬が立ち止まり、こちらに軽く手を振った。
 爽やかな笑顔に見惚れて、貴崎もふわふわと手を振った。
 どうにも重症である。




 次の日。
 俄然気分が乗らない朝10時。

 冬馬に渡されたメモ書きを見ながら、貴崎はとぼとぼと行く。

 紙に記された簡単な地図を何度も覗き込む。
 目的地は貴崎が通う高校からすぐ近くの場所だ。

 踏切を渡って2個目の角を右。

 初めての景色にしては見覚えがあるような、ふと思ってよく考えてみると、そういえばこの辺りにはアイツの家があったなと腐れ縁を一つ思い出した。
 家の使いを頼まれて、よくこの道を歩いたものだ。

 角を曲がって3つ目、グレーの壁の家。

 書かれた通りに行くと、薄いグレーの外壁が見えてきた。

 不幸にもこの通りはアイツの家の並びではないかとびくびくしながら目的の家に近付くと、驚いた事に目的地であるグレーの壁の家は、まさにソイツの家であった。

 貴崎は立ち止まり2階建ての家を見上げた。
 そして再度、表札を確認した。

『二条院』とある。

 新しい家が立ち並ぶ近頃では知らない者も多いだろうが、 二条院家といえばこの辺りでは一二を争う名家である。
 確か二条院流なぎなた術とやらの家元でもあった。
 ここから少し離れた山のふもとにだだっ広い本家があり、このグレーの壁の家は言わば離れのような物だ。

 古くから家系が続く旧家となれば、当然その土地の神社との結び付きも強い。
 早い話が氏子ーー貴崎の実家、貴崎神社のお得意様なのである。
 更に貴崎家と二条院家は親同士が同級生ということもあり、家族ぐるみのお付き合いだ。

 ただ、一つ目の不幸として、この二条院家にはアイツーー二条院 学(にじょういん まなぶ)という厄介な奴がいる。
「俺様メガネ」という通り名を持つ、血も涙もない悪人で、人の心の傷口に指を突っ込みえぐり尽くすのを趣味にしているような、とにかく嫌な奴なのだ。
 貴崎よりも背が低い癖に、徹底した上から目線で貴崎を馬鹿にしてくる。
 勉強もスポーツも得意だが、恐ろしい程の不器用さで、それをからかうとキレだすのでまた面倒臭い。

 年に数回、神社の行事ごとで顔を合わせるたびに貴崎に災難をもたらす。

 二つ目の不幸は、今現在なぜかその二条院学と同じ高校・同じクラスに通い、毎日のように顔を合わせなければいけない事。
 案の定、生徒会役員と学級委員に名乗りをあげてヤリタイ放題。期待を裏切らない独裁主義を貫き、我がクラスを手中に収めている。あれが次期生徒会長候補というから世も末である。

 三つ目の不幸。いつの間にか二条院学に背が追い抜かれている事。これが貴崎としては一番辛い。

 まさかこの紙切れ一枚で悪魔のもとに導かれようとは、いったいあの恋人はどういうつもりだろう。

 目的地はてっきり久遠の家と信じて疑わなかったが、そうではなかったらしい。
 念のため周囲にグレーの壁の家が無いか、久遠と書かれた表札が無いか歩いて探し回ったが、残念ながらそれらしい家は他に無い。

 もう一度、ヤツの家を見上げる。
 邪悪だーー。
 今にも玄関からアイツがひょっこり出て来そうな気がして寒気がする。

 うん、そうかそうか、なるほどーー。

 貴崎は一人腕組みをして目の前の事実を寛大に受け入れた後、速やかに踵を返した。

 いくら冬馬の頼みとはいえ、二条院学と一緒に遊園地に行くというのは遊園地側にも迷惑がかかる気がする。

「久遠ともう一人」と冬馬が言うから、久遠の新しい彼女かと思っていたが、まさかあの俺様メガネとは。
 久遠と二条院。驚愕の組合せだ。

 久遠は、金髪にピアスだらけの背の高いクラスメイトで、いつもダルそうにしていて一見チャラそうだが、話してみると案外いい奴である。少し前までは貴崎と同様、遅刻欠席の常連だった。趣味でやっているバンドのドラムはかなりの腕前という。
 外見、性格、趣味、どれをとっても二条院との共通点など皆無で、むしろ対極に位置する二人とも思えるのだが、案外そういう奴等が友達同士になるのだろうか。
 友達作りが苦手な貴崎にはよく分からない。

 しかしどうしたものか。
 貴崎は暗い面持ちでコンビニの自動ドアをくぐった。
 そして今からどうするべきかを真剣に悩みつつ、今週号のマンガ雑誌を手にとった。

 ちょうど気になる連載にざっと目を通し、しっかり読み込むための二周目に入ろうとした時だ。
 自動ドアが開くと同時に、隣で立ち読みをしていたサラリーマンがそちらを見て動かなくなったので、貴崎もつられて顔を上げた。

 ちらりと見るつもりが、二度見して目が離せなくなった。

 こんな町にも芸能人がいるのか。
 貴崎は目を見張った。

 男物のコートを肩に羽織り、寒そうに両腕を抱きながら不安そうな表情で店内を見回す。
 コートの隙間から覗く、白くて長い手足。
 栗色のストレートがさらさらとなびく。
 アニメから抜け出してきたような可憐な作りの顔。遠目にもわかる長いまつ毛。外の寒さのせいか頬が紅い。

 名前も顔も知らないが、名のあるアイドルに違いないと貴崎は確信した。
 もうなんというか、オーラが違う。

 次の瞬間、その美少女と視線ががっちり噛みあった。
 キッと睨みつけられた気がして、慌ててマンガ雑誌に目線を戻す。

 かつんかつんと高いヒールの音が近付いて来る。
 それは貴崎の真横まで来てーーそして止まった。

 恐る恐る顔を上げると、美少女が腕を組みこちらを見下すように睨んでいた。

「なにをしている」

 名も知らぬアイドルは目を細めて静かにそう言った。

 唖然とした貴崎の返事を待たず、少女は貴崎の腕をむんずと掴み、凄い力でコンビニの外まで連れ出した。

 コンビニを出てからも貴崎の腕を引っ張り、少女は無言のまま道を歩いて行った。
 恐らく人違いか何かだろうが、美少女にいきなり声をかけられ連れて行かれる機会はそうそう無い。

「あ、あのっ……!」
 何度か呼びかけたが少女は無言で歩いて行く。

 少女に引きずられるように歩いていると、ちょうど向こう側から見覚えのある顔がポケットに手を突っ込み気怠そうに歩いて来た。

 くすみの無い金髪。鈍く光るピアス。

 向こうもこちらに気付いたらしく、軽く右手を上げて「よお」と呑気に言った。

「久遠!」と貴崎が発する前に、きつく握られていた腕を唐突に離されてバランスを崩す。よろめく。
 美少女は貴崎を邪険に振り払うと「翔っ」と可愛い声を出して久遠の方へ駆け寄った。先程までとは比べ物にならない程の可愛いらしい笑顔で、いかにも嬉しそうである。

 もしかして、久遠の彼女……なのかーー?

 腕をさすりながら貴崎は二人を眺める。

「もう着替えたのかよ、はえーな。お、貴崎も来たか」
 久遠は少女の格好を見てから、後ろに立つ貴崎に顔を向けた。
 すると少女も貴崎を振り返り、言った。

「ああ、こいつはそこのコンビニで拾って来た」

 人を空き缶のように言って、つんとした表情で久遠に向き直る。
 見た目はアイドルたが、なかなか癖の強そうな人物だ。

「あと、こ、これは、出掛ける時の服とは、また別だから……」

 少女がプリーツを押さえて恥ずかしそうに言う。
 久遠が「へぇ、カワイイのに」と返すと、少女は頬を紅くして俯き「うん、まあ……そーなんだけど……」と消えるような声で言った。
 こんなツンデレ振りを見せつけられる義理は無いと、貴崎は早々に帰りたくなった。

「ま、とりあえず寒いし部屋上がってもいいか? マナブ」
「そうだな」と微笑む少女。

 マナブーー女にしては珍しい名前だ。そう思いながら少女が入ろうとする家を見上げて貴崎は足を止めた。

 あのグレーの壁の家である。

 マナブーー?
 学ーー?
 二条院ーー学ーー?

 貴崎はハッとして少女を凝視した。

 背中がぞくりとする。嫌な汗が出る。

「ま、まなぶ……ッ!?」

「なんだお前、気付いてなかったのか」

 貴崎は「うわぁッッ!」と声をあげて仰け反り、後退った。

 愛らしい顔、長い手足に艶やかな髪。
 アイドルのような美少女の正体ーーそれはあの二条院学であった。

「へ……変態……っ!!」
 貴崎は真横にいた久遠の背中に隠れてわなわなとしながら、例の美少女ーー女装した二条院学を覗き見た。

 確かに身長はあれくらいだし、少女の声だと思っていたのもよく聞けば二条院の声に違いない。
 二条院は日頃分厚いレンズの眼鏡をかけている。眼鏡を外した素顔を見たのは随分と小さい頃なので、どんな顔だったか覚えていない。だから目の前の少女が二条院学と同じ顔をしているかどうか、それは正直貴崎には分からなかった。

 久遠の腕に隠れてじっと変態を観察していると、二条院がコワイ顔をして向かって来た。

「翔に、べたべた触るなッッ!!」
 そう言って貴崎に掴みかかると、少女は片脚を天高く振り上げた。

 二条院学の得意技。踵落としだ。

 貴崎は長年の功でそれをかわした。
 そしてこの無駄のない身のこなし。やはり目の前の美少女は二条院学なのだと確信した。

「おいこら。ケンカすんなー」
 久遠は教師みたく言って、二条院と貴崎の頭に手を乗せポンポンとする。

 家に上がり部屋に通されると、二条院は何かを取りにすぐ部屋を出て言った。

 久遠と二人きりになったところで話を聞けば、何を隠そう久遠と二条院は付き合っていると言うではないか。
 それで先程貴崎が久遠に触れた時にぎゃあぎゃあとうるさかった訳だ。

 何が辛くてあんな性悪で女装する変態メガネの人と付き合うはめになったのかと聞けば、久遠は少々言い辛そうに「……ちょっといろいろあってな」と言って、へらへらと笑った。

 笑い事ではないだろうと思ったが、ふぅんと貴崎は返した。
 金髪にピアスという出で立ちの久遠が、ついこの間急に黒髪に眼鏡をかけて登校した騒ぎがあったから、その事に関係するのかもしれない。

「付き合ってるっつーのも、まあ俺は一応そのつもりなんだけどさ……正直、向こうがどう思ってるかは……微妙だな」
「なんだよそれ」
「ちゃんと恋人同士になろうって話し合った訳じゃねえし。まあでも、2人で出掛けたり、手繋いだりはする」
 少し照れながら嬉しそうに話す久遠を見て、本当に二条院のことが好きなのだろうと察しがついた。なんだか気の毒である。

 ちょうどそこへ二条院が戻って来た。
 部屋に入ってくるなり、「どうだ、これ?」と誇らしげな顔で二人の前にワンピースをかざした。

 七分袖の白いワンピース。全体が薄いレースに覆われているが、バレリーナのような華やかさは無く、どちらかというと大人しく落ち着いた雰囲気に見える。
 チュニックがどうとかフレアがどうとか二条院の説明はさっぱりだが、ふわふわしていて上品な服というのが貴崎の印象だ。

「おっ、いいんじゃね?」と久遠が言ったので、貴崎も「まあ、うん……」と適当に答えた。

 すると二条院は「よし」と頷いてから、ワンピースを貴崎に放り投げた。

「じゃあ、さっさと着替えて来い」

 貴崎はベッドに腰をかけて口を開けたまま、ひとしきり二条院を見上げた。

「は?」

 やっとの思いで声を出すと、二条院も「は?」と怪訝に言った。

 それからしばらく、当然ながら貴崎は二条院に逆らって言い争いをした。そして当然ながら言い負かされた。

 お前が変態に身を投じるのは勝手だが自分まで変態扱いされてたまるかと反論すると、これは冬馬に頼まれた事だと二条院が言う。

「あ、それはマジだから」と久遠も言った。

「彼女ってことで学のライブの写真見せたらさー、可愛い可愛いってあんまり褒められるから、野木と成宮に彼女の正体話しちゃったんだよなー」
 話しちゃったんだよなー、ではない。
 そもそも二条院学のライブとは何なのか。怖くて聞けない。
 惚気ける久遠を睨みつける。
 自分も二条院をアイドルと勘違いして浮かれていた事はさておき、成宮が二条院の女装を可愛いと言った事も何だか腹立たしい。

 だがやはりあの悪名高き二条院学に勝てる訳はなく、最終的には授業の出席日数がどうなってもいいのかと脅され、貴崎はワンピースを抱きしめたまま廊下に放り出された。

 言われた通りの部屋へ行き、鏡の前に立つ。
 身体にワンピースをあてがってみる。
 これは笑える。
 やはり自分にはこの一線は超えられないと、また廊下に出た。

 二条院と久遠が待つ部屋へ一度戻ろうとしたが、ドアの隙間から中を覗くと、二人が思いの外いい雰囲気になっている。

 今にもキスしそうな距離で顔を寄せて、声をひそめている。触れないながらも、久遠の腕がさり気なく二条院の背に回る。
「じゃあさぁ、今度俺の部屋来いよ。新しい曲練習するから」
 囁く久遠の横顔に大人の気配が漂う。
 あの俺様メガネがどんな顔してやがるのかと目を凝らしたが、生憎二条院は後ろ姿しか見えない。それでも美少女の流れるように綺麗な背は、弾むように肩を揺らしくすくすと笑ったようだった。

 ちくしょうーー。
 貴崎だって先日大人になったと思い込んでいたのに、部屋の雰囲気にあえなく惨敗。
 ひどく自分が子供のように思えた。
 二人に漂う空気ーー貴崎には分からない大人の駆け引きのような複雑な気配は何だ。数学の因数分解に苦戦している貴崎には到底理解し得ないだろう。

 なぜこんな思いをしなければならないのか。
 ひどい敗北感を覚えながらワンピースを抱き締めて、もと来た部屋に戻る。

 出来ることなら今すぐ冬馬に会いたい。
 頭を撫でてもらって、ぎゅっとして欲しい。
 気を緩めると目頭が熱くなる。

 逃げ帰った部屋で途方に暮れて丸まっていると、ドアが開く音がした。
 廊下を覗くと久遠が「じゃあ後でな」と階段を下りようとしている。

「え、久遠帰んの!?」
 貴崎が飛び出すと二条院が目を細めてこちらを睨んだ。

「お前、まだ着替えてないのか」

 久遠は寄る場所ができたから先に家を出て、待ち合わせの駅には直接集合するという。と言うことは、この家に二条院と二人きりで残される事になる。
 地獄だ。

「ま、まあ……成宮も、楽しみにしてるから、さ」
 久遠は服を抱き締めた貴崎を見て、玄関先で励ますように言った。

 貴崎は人質になった気分で久遠を見送った。




「さっさと着替えろよ、バカ」

 二人きりになるなり二条院は腕を組み、部活動を監視する鬼顧問のごとく貴崎を上から睨みつけた。
 ただし表面上はアイドルのような美少女である。
 現実から逃げるように貴崎は二条院に背を向けた。

「うっさい、変態」
 聞こえないように小声で言うと、二条院は「チビ」と言い返してきた。

「ちょっと恋人ができたくらいで調子乗んな、バカ祐」

「そっちこそ。久遠と手しか繋いでないくせに偉そうにすんな、ばーか、バカ! お子様ー」

「はあ? お前はお子様じゃないのかよ!」

 当然とばかりに貴様が失笑すると、二条院は少し悔しそうに口を尖らせた。いい気見である。
 ざまあみろと勝ち誇っていると、二条院はまた上から目線で話し出した。

「お前、ホントにバカだな。恋人同士なら相手を焦(じ)らせるのは基本中の基本だろ」
「は?」
 相手にすまいと顔を背ける。

「付き合ってすぐに最後までヤったら、速攻マンネリ化するに決まってんだろ。だいたい軽い奴だって思われて、絶対嫌われるぞ、そんなの」
「そ、そんなこと……わかんないだろ!」

「アホめ。俺の言った事が間違ってた試しがあるか? お前は誰のおかげで留年せずにすんでんだよ。俺の抜き打ちテストの予想が外れた事なんてないだろうが!」
 確かにそう言われるとその通りである。
 二条院が貴崎にふっかける無理難題、その災難の見返りに受け取る情報や予想は凄まじい正確さだ。

「でも……俺と冬馬は、特別な絆で……」

「絆とか言うな。お前さあ……、本当に分かってないんだな。相手は成宮だろ? うちの学校だけでファンクラブ何人いるとおもってんだよ」

 さすがに次期生徒会長候補の言葉は重い。
 貴崎が言葉につまり黙りこくると、二条院は意地悪くニヤニヤとして言った。

「そういやバスケ部は来週、強化合宿だろ? どうせ知らないだろうから教えてやるけど、バスケ部のマネージャーの内2人が近々成宮に告るって噂だぞ? 1人は背が高くてモデルのバイトしてる3年の女子。もう1人は、巨乳で社長令嬢の1年」

 実態の分からないファンクラブはともかく、そういった具体的な話は聞いているだけで苦しくなる。
 背が高い、モデルのようなスタイル、巨乳、社長令嬢。
 貴崎は目の前にある姿見に目をやった。
 その噂の女子達にどれか一つでも勝る所があるか。
 背は低いし、スタイルどうこうのレベルではない。男だからもちろん乳は無い。その上家は潔い程の貧乏である。

「ああ、そうそう。翔が俺の写真を見せた時、成宮がすっげー羨ましがってたって知ってるか? こんな可愛い彼女を連れて外を歩けるなんて、夢みたいだねって」

 冬馬がそんなことを。
 貴崎は愕然として、その場にしゃがみ込んだ。

 恋人にして、手を繋いで歩きたい女子。
 周りに自慢したくなる恋人。

 鏡の中を見つめる貴崎に追い打ちをかけるよう、二条院はふと真顔になって、そして哀れむように呟いた。

「お前……、すぐに飽きられて、捨てられちゃうぞ?」




「まあどう見ても貧乳顔だからな。胸は盛らなくていいだろう」

 二条院が手を払いながら立ち上がり、鏡の中をのぞき込んだ。

 貴崎はすがるような思いでもう一度全身を眺め、神妙に二三度頷いた。

「お、思ってたよりは……悪くない、かな」

 か細い声でおびえるように言うと、「当然だ。誰が選んでやった服だと思ってんだ」と二条院が言った。

 胸の辺りまで伸びた手触りの良い髪に指を通す。
 もちろん自分の髪ではない。
 耳から下はウィッグというやつである。

 長い黒髪に白い肌。頬が少し上気しているように見えるのは、生まれて初めて施した化粧のせいか。
 不安そうな表情の小柄な少女が鏡の中からこちらを見ている。

 水が滴るような小さな唇。このグロスといやつがベタベタしていて大変不快。
 挙げ句、まつ毛には石油のような黒いドロドロを塗り付けるという小細工を詐欺まがいに乱用したおかげで、まるで別人のように可愛らしい乙女が完成したーーような気がする。
 二条院によれば、これでもかなり薄化粧だと言う。

 上品な白いワンピースのおかげで、どうにか貧乏神社の息子には見えず、一見育ちの良い大人しいタイプに見える。
 ただやはり履き慣れないスカートは下半身が落ち着かない。
「あのさー、これもっと上まで上げちゃ、どうしてもダメ……?」
「だからスカートの中まで上げたらニーハイソックスの意味がないだろ! 何度も言わせんな、バカ」
「んー……でも、なんかスウスウして気持ちわりい。ってかこのスカートとソックスの間の微妙な隙間が……。これ、いる?」
「そこからちょっとだけ肌が見えんのがいいんだろ」
「よくねえよ……男の太ももチラ見して何が嬉しいんだよ」
 貴崎が泣き言を言うと、二条院は「そう案ずるな。お腹の弱いお前にとっておきのアイテムがある」と誇らしげに言った。

 貴崎の女装が完了すると、次は二条院が着ていく服を選び始めた。
 あれもこれもと袖を通しては、翔はどっちの方が好きかなと切実な顔をして悩む。どちらが可愛いかと一応貴崎に意見を求めておきながら、貴崎の意見を参考にする気配は全く無い。
 久遠は、二条院の本心が分からず、付き合っているかも微妙だと言っていたがーー。なんだよ、両想いかよーー。

「ちょ、ちょっとスカート短くね? どう思う?」
 余裕の無い二条院。
 もうその仕草や表情が完全に片想いの女の子である。
 デートの服装に真剣に悩む変態メガネ野郎を一瞬可愛いと思った自分を貴崎は恥じた。
 とことんウザい奴である。

 二条院の着替えが終わると二人で一階のリビングへ行った。
 家を出るにはまだ早い。

「ほら、おたべ」と出されたアイスを仔犬のようにがっついていると、二条院が「予想以上に上手く出来たな、さすが俺」と貴崎を眺め、自分の手柄を主張した。

「そうだ、祐。お前に一つ頼みがある」

 思い付いたように二条院が言った。
 貴崎のことをすんなりと名前で呼んできた時は要注意だ。

「嫌だ……」

「そう言うな。大した事じゃない。ちゃんとご褒美もあるぞ」

 そう言って二条院は携帯を取り出す。

「嫌だよ、絶対……。お前の頼みは厄介事ばっかだからな、昔から。俺がそれでどんだけ大変な思いしてきたと思ってんだよ」

「だから、そんな大した事じゃないって!」

「絶対ウソだ」

「ウソじゃない」

 貴崎はアイスをぺろぺろやりながら二条院に疑いの眼差しを向けた。
 少し考え悩んだ後ぽつりと聞く。

「ちなみに、褒美って……?」

 美少女は勝ち誇ったように不敵な笑いを浮かべた。




【後書き】
お久しぶりです☆
いつもの悪い癖が……どうしてこの話は1話が長くなっちゃうんでしょう。
出ました。今回も1万字超。
2回に分ける事も考えましたが、ひと月以上間隔あいてるし、ブログは好き勝手しちゃう宣言もしたので、載せちゃいましょう。
読者様の方で2回に分けて読んで頂く、セルフな感じのブログになりますm(_ _;)m

あ、久遠&二条院をもっと知りたい方は『アンドロイドボーイ』をどうぞ。
別に読まなくても今後全く支障ありません☆

さて、ここまで辿り着いてくれた強者、どれくらいいるんでしょうか。
もうふらふらでしょう……なにしろ私も読み返すのが大変だったので。
是非最後の力で拍手をポチっと、『読んだでー』報告を♪
そして長い癖にこんな内容でホントごめんなさい!m(__)m
お読み頂きありがとうございました♪
ではまた次回。

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テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

コメント

Re: A様☆

A様♪
コメントありがとうございます♪
そして長文お読み頂きまして感謝ですー(;_;)

つ、ついに、祐に女装をさせてしまった( ̄ー ̄)ニヤリ
グッジョブ二条院!よくやった!
そして次回、成宮の反応にもこうご期待(ΦωΦ)フフフ…
なんか次も長くなりそう(^_^;)

またお待ちしておりまーす(^^)/~~~

Re: けいったん様☆

けいったん様♪
コメントありがとうございます(^_^)/

いえいえ、こちらこそ長文お読み頂きましてありがとうございます♪
(ΦωΦ)フフフ…出てきましたね〜例のメガネ☆
このために無意味に長い前作があった訳です!あの短編がね!(短編と言い切った…)

さて、女の子の格好した祐。次回はどう料理してくれようか……(ΦωΦ)フフフ…
またお待ちしてまーす♪♪
(^^)/~~~

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更新 ありがとう♪(((o(@^◇^@)o)))♪

祐と冬馬に やっと会えて 嬉しいな♪

しかも~ 今回は、久遠と二条院まで登場させてくれるなんて~!
16様、 嬉しいサプライズを ありがとうヾ(@^▽^@)ノ

久遠と二条院は、お外で イチャコラしたい為に 学が女装している事実も知り 驚くばかりです。
だって あの 俺様 二条院様、学様で アンドロイド美少女な二条院学がですよ!!
恋のパワーって 凄いよねー(o ⌒∇⌒)oo(⌒∇⌒ o)ネェ

祐も 冬馬と イチャイチャの ハグハグの チュチュをしたかったら 仕方ないかも。。。
でもねー
冬馬、 アンタが 長年 想い続けた祐に そんな恰好をさせていいの?
学は 自発的だから いいけど、祐は…

この事で 祐に「冬馬は 女性の方が いいんだ、、、il||li(*'I')il||li ショボン ...」と 不安にさせ 誤解されても 知らないから~~~~!

祐が許しても 私は許さないよ!p(`ε´q)ブーブー...byebye☆

 

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