スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

二度瞬く [第二十三話]

『待ち人来たる』


「と、とぉ、ま……? 冬馬?」

 震える声で何度も呼びかけるが、当然返事は無い。
 
 最も恐れていた最悪の成り行きだった。
 目のかすみにも似た、おぼろげな一筋の光がやっと遠くに見えたというのに。

「冬馬――ダメだ! 駄目だ、死んじゃ……こっちへ来ちゃ、駄目だ……」
 動く気配の全く無い体の脇に崩れるようにして寄り添い、しゃくり上げながら何度も何度も涙声で嫌だと叫ぶ。
 
 嗚咽で言葉が繋がらない。
 街灯の薄明かりが涙に浸かる。
 見るからに冷たそうな白い肌に触れると、透けた指先がすくった成宮の内部は、氷水のように刺す冷たさだった。
 今までになかった感触に驚き、貴崎は呼吸をとめて立ち上がる。
 
 痛みすら覚える凍てついた指先を震える唇にあて、暗闇の中に眠るベッドの上の塊を凝視した。

 もう、本当に、時間がないのだ。泣いている暇さえ。
 
 成宮の身体は貴崎がいる世界、こちら側へ来ようとしているのだ。
 
 ガラス一枚隔てて向こうでは深々と雪が降り積もる。
 余り物のような街灯の明かりと、遠くから万物に注がれる鐘の音だけが静かに忍び入る冷え切った部屋の中で、それは刻々と幼馴染の新鮮な身体を侵食していた。

 闇を照らす一筋の光はさらに遠退いた。――が、見失った訳ではない。

 もうこの方法しか残されていない。
 
 飼い犬が語った嘘のような宝探しの話。
 その宝は死んだ者を甦らせることができるという。
 上手く手に入れば自分自身が生き返られると浮かれていたが、宝探しは突然悲劇的で不可避なものになってしまった。
 宝はなんとしてでも手に入れなければならない。
 もちろん使い道はただ一つ。目の前の幼馴染だ。

 貴崎はしゃがみ込み、擦れた声でゆっくりと語りかけた。

「とおま……俺、あの場所に、行きたい。どうしても、あそこに……だから――たのむ。連れて行っ……」
 
 二人だけの秘密の場所へ――。
 
 最後まで繋がらない言葉をぐっと飲み込み、祈るように目を強く閉じる。




「交通安全の御守りと――あと、おみくじ、いっ……」

 空耳に似た男の声と、一瞬だが確かに視界にとらえた千円札を握り締めた手。
 それらは瞬く間もなく、地面をあおる激しい横殴りの猛吹雪にかき消されてしまった。

 貴崎は突然のことに、はっとして一歩身を引いた。

 実家の神社で御守りを売る元旦の夢は、成宮がよく見る夢だ。
 どうやら心底貴崎の袴姿が好きらしい。

 ただし今回ばかりは、いつもと様子が違う。

 軒下から見える範囲に人の群れはなく、本殿すら見通せないほどのひどい風雪が轟々と小さな社務所を揺さぶっている。
 隣にいるはずの兄や、奥で新聞を読んでいる父の姿もない。
 極寒のへき地に建つ小屋に一人取り残されたように、袴姿の貴崎は立ちつくした。

 その上、この夢は極端に色素が少ない。

 兄が座っていた緑の回転椅子も、軒下に並べられ雪が降り積もる御守りの数々も、黒と白の濃淡で構成され、一見モノクロ写真の世界だが、足元に置かれた小型のハロゲンヒーターだけが、せめてもという様に貴崎の袴の裾を赤く照らしている。

 貴崎の今までの経験からすると、夢の世界が色褪せたり急に冷え込むのは夢が終わる兆候だ。
 とりわけ眠っている成宮が更に深い眠りに落ちようとすると、何かに侵食されるようにこうやって夢の世界が崩れ始める。
 もっと夢の終わりに近づくと、空が割れて、物が溶ける。
 いや、もう空は割れ始めているのかもしれない。 
 とにかく時間がないと、貴崎は社務所を飛び出した。

 袖で視界をかばいながら、鎮守の森と思しきおぼろげな陰影と、方角だけをたよりに、強風と粉雪が渦巻き吹きつける荒天の中をゆっくりと進んでいく。

 鎮守の森まで辿り着くと、悪天候はいくぶんか治まった。
 モノトーンの視界でもここはたいして代わり映えしない。
 終わり行く世界に動じることなく、黒い針のように鋭く天を貫いている木立は毅然と静寂を保っていて、それがこの場所が持つ本来の力なのだと思わせた。

 雪でぬかるんだ山道を、息を切らしながら駆け上がる。時々泥土に草履を取られては前のめりに両手をつき、泥と雪と汗とで全身をぐじょぐじょにして、やっとの思いで小高い裏山の頂上に出た。
 山頂の風はさすがに凄まじい。雪は少し穏やかになっただろうか。

 貴崎は迷わず社の横を抜け、急勾配の石階段を見下ろせる場所まで歩いて行った。

 石階段の脇に立ち並ぶ木々を一本一本仰ぎ見る。
 確かこの辺りだったはずだ。成宮の身長からするともう少し上か――。

 とうに感覚がなくなった足で、くるぶしまで降り積もった雪に踏み入ると、さらに足袋と草履がぐっしょりと重たくなる。
 雪を突き刺している尖った針葉樹の葉を、痛む指先で掻き分ける。

 あの時は横目でしか見ていなかったが、確か割りと太い枝だったように思う。
 しかしどの枝も見覚えがあるようで、全く無い。結局どの木もどの枝も全て同じように見えるのだ。

 やはりそう簡単にはいかないのかと、貴崎は顔を歪め、喉の奥まで込み上げてきたものを下唇を強く噛んで押しとどめた。
 
 駄目だ。諦める訳にはいかない――。
 自身の命であれば、いくらでも諦めがついたであろうが。 
 
 一歩奥に踏み込んだ所で、足の裏で鳴った鈍い音と感触に目を向けた。
 雪に埋もれていた枯れ枝を踏んだらしい。

 貴崎ははっとしてその場にしゃがみ込んだ。
 赤くなった指で土で汚れた雪を掻き分ける。

「あっ!」
 小さく声をあげて動きを速める。

 はあはあと白い息を吐きながら、雪の中から現れた紙切れの端を見つめた。
 息を殺し、震える手で埋まった紙切れの雪を払い、枝にくくり付けられた硬い結び目を解く。

 縦に四つ折りされた、二枚重ねの短冊のような紙。
 外側の一枚は、風化した上に雪に濡れたせいだろう、紙が半分溶けかかっているし字が消えていて殆ど読めない。唯一「大吉」と読める大きな文字だけが滲んでいた。
 これは成宮のだ――。

 あの日――元旦の、あの日。
 成宮は確かに、ここにくくり付けたはずだ。
 二人分のおみくじを――。

 貴崎の最後の切り札。
 それは現実では笑い話でしかないような馬鹿げた思いつきだった。
 宝があるのなら、宝の場所を示す地図が必ずどこかにあるはずだ、と。
 地図でなくてもいい、少なくとも道を示すヒントのような物がどこかにあって然るべきだ。

 その然るべきヒントのような物を、貴崎は飼い犬の暴言の中から見出した。
 詳しく考えれば考えるほど現実味がなく、阿呆らしいひらめきだと思える。だから貴崎は意識して考えないようにした。
 後悔するなら、それを確認してからにする。
 なにしろその切り札は、現実世界でも、成宮の夢の中でも、どちらの世界にも確実に存在していた物なのだ。

 二枚重ねにされていたおかげで、内側のもう一枚には辛うじて読めそうな字が多く滲む。
 貴崎は息を震わせ、紙を鼻先に持ち上げ食い入るように睨んだ。

『大凶――――この御籤にあたる人は、信心薄く、故に身を滅ぼす者なり。
待ち人、来ず。恋愛、成就せず。探し物、身近な場所にあるも見つからず。賭け事、惨敗もしくは勝負がつかず。健康、大病無しも生命の危機あり。旅立ち、幼き頃より親しんだ場所を忘れるべからず。
この御籤に書かれしこと心に深くとめ、日々信心忘れることなく慎みやかな生活をおくるべし。護身符を身につけ信じ、闇に飛び込む改心あれば、あくる年月には大凶転じて吉となす』

 幼き頃より親しんだ場所――? 護身符――? 飛び込む――?
 腑に落ちない気分で顔を上げた時だった。

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

 貴崎はぎょっとして、音がした方角に振り返った。
 闇を震わす唸り。
 
 除夜の鐘だ。

 いつの間にか突風は止み、雪は空から真っ直ぐ地面に落ちて降り積もる。その雪も、あんなに積もっていたはずが、所々土がのぞくほど極端に量が減っている。

 今、繋がったのだと貴崎は確信した。

 もうここは成宮の夢の中では無い。
 現実世界のここ――貴崎神社の境内の中、なのだ。

 夢は時折、こうやって現実世界に繋がる。
 マルが言うにはとてつもない確立らしいが、成宮は貴崎の望みなら何だって聞き入れてしまう。たとえ自分の命のともし火が消える間際でもだ。

 そしてこの境内のどこかには、マルが言ったお宝が眠っている。

 いつのまにか泥にまみれた袴姿から、死んだ時の制服姿にかわっていた。

 貴崎は恐々と首を伸ばし石階段の下の様子を伺う。あの不細工犬は、境内の回りにはこの世の者ではないおぞましい警備の輩がうじゃうじゃしているとも言っていた。 
 
 厳戒態勢の境内に無事侵入成功。
 今からが宝探しの本番だと辺りを見回し、貴崎はふと目に留まった社に近づく。
 おみくじに書かれた数少ないキーワードの中でも、幼き頃より親しんだ場所というのは簡単だ。
 この社は、かつて貴崎と成宮の秘密基地であった。
 ただ成宮の夢の中では、どこかの如何わしいホテルの一室に塗り替えられていたことがある。成宮の部屋に置き換えられ、幼馴染と人には言えない関係になったこともある。

 案外ここが、宝の在り処だったりして――。
 
 へへんと半笑いで格子戸を開けると、そこには――何もなかった。

 板張りの小さな部屋も、ラブホテルの一室も、成宮の部屋も、何も無い――ただただ、闇。深淵。

 目を凝らせば黒々としたヘドロのようなものが沸き立つように渦巻いている。
 本能的に嫌悪を感じた貴崎は、気持ち悪くなって口を押さえ後ずさった。

 その時、貴崎の隣で何かが不意に動き出した。

 びくりと飛び跳ねそちらを見ると、それは角が取れた古い石台に鎮座しているはずの狛犬だ。
 石の彫物であるはずの狛犬が、ふるふると全身を揺すって、降り積もった粉雪を舞い上がらせる。

「マ、マル……」

 柔らかそうな小さい舌で鼻に積もったわた雪をぺろりと舐め上げる。
 この狛犬、風化で顔が崩れているのだとばかり思っていたが。

「おい、もっと驚けよ」と狛犬――マルは、不機嫌そうに言った。
 
 今さら声をあげて驚くほどの事は何もない。こちらは今からひと一人生き返らせようと試みているのだ。

「やっぱり来たか……お前の悪運は大したものやな」
 
「マル、これ――これ、なんだよ。お宝って、この中か!?」
 我に返った貴崎が社の中を指差し問いただすと、マルはニヤニヤと笑いながら元通り狛犬の形に座りなおした。

「宝か? あるやろ、お前のアホ面の目の前に」
「無いって。何にも無いんだって。見てみろよこれ! 気持ちわりぃ……」
 おえっと吐きそうな顔を作り、一歩下がって社の中を敬遠する。

「いやだから、それやん。お宝」
「はあ?」と不細工な狛犬を振り返る。

「お前、お宝お宝って、なんぞ金ぴかの聖杯とか光り輝く薬とか想像しとったんやろ? まあ阿呆を責めるつもりは無いけどな。それが宝や、正真正銘のな」 

「こ、れ……?」
 もう一度社の中をぐるりと見回す。
 
 マルには馬鹿にされたが、正直、人を生き返らせるというからには、飲み薬のようなお宝を想像していた。少なくとも、形があって手に持って使用できるくらいの物だろうと思っていた。
 ところが目の前にある宝物は、形が無い。
 手に持てそうもないし、そもそも物では無いのだから、宝物という表現がおかしいのではないか。

「これ……何? どうやって食うの?」
「食う奴があるか! 阿呆んだら」

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

 一人と一匹で遠い鐘の音を振り返る。

「これはな……、時間のひずみや」
 マルは瞼を少し下げ、落ち着いた声で話し始めた。

「時間いうのはな、毎年ちょっとずつズレが生じる。うるう年っちゅうのをお前も知ってるやろ、四年にいっぺん日付増やして暦を補正するいうあれな。あんなもんは見せ掛けで人間の自己満足やけど、時間いうのは実際不安定なもんで、ホンマに毎年ずれにずれとるんや。
 それをな、今一生懸命補正しとる。誰がしとるとかは、聞くな。知らんほうがお前のためや。」

 わかった様な顔をして話に耳を傾けていたが、内心さっぱり分からない。途中からまったく言葉が頭に響かず、マルの顔面を見つめて不細工に見える理由を詳しく考えてみたりする。

「おい、真剣な顔すんな、笑てまう。
要するにな、お前の目の前にあるそれは、年に一回の時間の補正現場っちゅう訳や。ごおぉぅぅんっとな、金づちで叩くみたいにズレた部分を叩くんや、世界中で同時にな。時間を触るには、いつもかけてる封印切ってロックを外さなあかん。年に一回開錠されるそのロック部分が、ここって訳やな」

「時間のズレを? 叩いて補正すんの……? 訳わかんね。現実味ねえし。
だいたいどうして、これがお宝なんだよ」

「まあ、最後まで聞けや。封印解けてロックが外れるっちゅうことは、時間に直接触れられる言うことや。今この中の時間がどうなってるか分かるか? ごおぅうんと叩かれて、たいそう目回してフラフラや。時間が振動するいうことは、縦にも横にも揺れるわけ。横揺れってのが場所の変化やとすると、縦揺れは何の変化かわかるか? 祐?」

 ちょうどマルの丸鼻に粉雪が降り積もるのを眺めていたので、貴崎は驚いて、授業中にあてられた時と同じように、考える振りをして黙り込んだ。

「縦揺れはな、時間の変化や」と犬はニヤついた。

「時間? それって、タイムスリップ出来るってこと? 過去に……返れる?」
「まあ、ええ風に言うとな。そう簡単な事やない。揺れてる時間の中に入ったら、確かに過去に返れることもある。未来に行ってまう事もあるけどな。下手したら時空が変わってひねり潰されてまう」

「つまり……上手くいけば、過去に返ってやり直せるってこと……?」

 マルはふふと不気味な笑い方をして「未来を変えてしまうことになるけどな」と言った。
「今までに、成功した奴って……いるのか?」

「おお、いるね。それも世紀を揺るがすような極悪人やった。世界を闇に落とす力もあった。まあそいつは生き返って、如何に世の中が下らんかを知って、人間の姿ををやめてしもうたけどな。今世界が平和なんはそいつが生き返ってしもうたせいや――と言うてもお前は信じんか……」

 もう一度社の中に目をやる。物音一つたてず無音の闇は渦巻く。
 
 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

「お前、何で年越す時に除夜の鐘をつくか分かるか? 人間達は真似してるんや。神様いうて崇め奉っている御方達が、時間のずれを補正してる仕草を真似してるって訳やなあ。同時に時間が振動するんを、人々にさとられんようにする効果もあるっちゅう話や。なかなか奥が深い話やろう? これでまた一つ偉なったやんけ、良かったな」

 貴崎は闇を見据えたまま、開け放った格子戸から一二歩後ろへ引いた。
 それから握り締めていたおみくじの文面をもう一度睨みつけた。

『護身符を身につけ信じ、闇に飛び込む改心あれば――』とある。

 問題は、この護身符という部分だ。
 護身符――つまりは、御守りか。

 今から社務所に取りに戻る時間はない。
 ここは運で乗り切るしかないかと思い始めた時にはっとした。

 慌てて制服のポケットをまさぐる。

「あった!」

 赤いちりめんの生地に、錦糸の文字。安産守りと刺繍されている。
 裏には実家の神社名。
 
 マルは丸い目を細める。
「ほお、なかなか良い思案やなあ。安産守りなんか持ち腐って。安らかにもう一度産まれ返るってか? 誰から聞いた、そんな裏技。そう知ってる奴はおらんと思うてたけど」
 
「さあ、忘れた」と答え、手の中に御守りをぎゅっと握り込む。
 これを貴崎に託した女は、貴崎よりも一足先に逝ってしまった。
 嘘か真か妊娠していたと語り、最後に好きな人に会うことも出来ず、それでも幸せそうな美しい顔をして去って行った。
 名前は――忘れた。
 ユキ。
 ぼんやりとそんな名前がよぎるから、そうなのかもしれない。
 どんな漢字を書くのだろうと、風花が舞う夜空を見上げる。
    
 この安産守りは、成宮に投げつけてやろうと腹立たしくポケットにしまいこんでいた物だ。結局出しそびれて、挙句すっかり忘れていた。

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。
 また鐘が鳴る。

 マルは前足を立てて座り直した。

「行くなら、行けよ。次の鐘が最後や。鐘が鳴り終わったら、ここもまた封印がかかる」

 おみくじをポケットに突っ込み、安産守りを汗ばんだ手にしっかりと握りしめる。
 数歩下がって社の中を睨みつける。

「ええんか? 未来を変えるんは重罪や。万が一にもお前が生き返ることで、死なんでいいはず人間が沢山死ぬかもしれんぞ」

 たとえ自分が生き返ったせいで人類が滅亡するとしても、俺は同じ事をしてやると大口を叩くと、マルはがははと天を仰いで「この極悪人め」と笑った。

 自分のためにではなく、幼馴染を生かせるために、生き返りたい。
 そのためなら何でもすると決めたのだ。

「闇に呑み込まれんなよ、気だけはしっかり持て。要は運や!」

 一度両目を閉じ、息を大きく吸い込んで集中する。

「おお、言い忘れとった。万が一上手く行って生き返ったら、ちゃんとあの番組録画してくれ。あの年越しの、笑ったらあかんやつな」




 ごおうぅぅぅんぅんん――――。
 
 鈍い反響に背中を押されて、社の中に飛び込む。
 馬鹿めと、暗闇がニヤリと笑った気がした。

 下に落ちていくのかと思っていたら、そうではない。
 生暖かな水中に呑まれているような、ぷかぷかと浮いているような、どこか懐かしい感触さえある。

 最初に聞こえたのは知らない女の涙声だった。

「ごめんなさいね」
 そう言ったように聞こえたが、すぐに耳鳴りのように消えた。

 それからも沢山の声や雑音が、貴崎の注意を引こうと耳元で鳴る。

 踏み切りが閉まる音に電車の音。
 砂利の音。
 犬の鳴き声。

「パパ……これ、天使? 降って来たの?」

「育てるって! あなた達、どういう事かわかって言ってるの!?」

「どうせ助かりませんよ。好きにすればいい」

「祐、えらいわねぇ。自分で靴下はけたのね」

「これ、秀直。あんな神聖な場所にカルピスを入れてはいけない。よいか? あのカルピスはだな、父さんがお歳暮でもらって大切に――」

「祐、早くしないと遅れるよ!?」

「はい、祐の負けぇ! 祐が罰ゲームな。……はあ? ズルしたって証拠あんのかよ!」

 どれも意味深げであり、他愛ない会話のようでもある。
 大半が聞き覚えがある家族の声。たまに知らない声が混じる。

「結婚? うぅん……どうだろう。男同士でも出来るのかなあ」
 時折軽やかな幼馴染の声を捉えては、心が乱れる。
 目を開ければ愛しい顔に会えるような気がして、うずうずするが、何かとても嫌な予感がして目はずっと瞑ったままだった。

 荒波の大海に浮かぶようだ。

「あれ、貴崎。帰んの?」
「野木、放っとけよ、そんな奴。調子乗って無視してる奴、気遣う必要ねえって」

 随分最近の声だ。

 良い思い出と悪い思い出、後者の方が少し多かった気がする。
 
「ほんとうぜえわ、貴崎。
 佐藤も何でこんな奴と付き合ってんだよ。結局あいつも顔だけで、男見る目ねえな。バカでやんの」
  
 久しぶりにあの6秒間を思い出した。
 校舎裏に隠れて抱き合い、キスする二人。
 今では全てを許せると思う。

「ねえ、君一人?」

 はっとして耳を澄ませる。

「もし良ければ、僕と一緒に来ないかい? 向こうの道に車を停めてあるんだ。
 制服を着ていても、大人と二人で車に乗っていれば警察もごまかせるだろ?」
 
 あの日。

「貴崎こそ、どうしたんだよ。急に帰ったっていうから、俺……」

 息を切らした成宮の声。
 鼓動が高鳴る。

「僕は貴崎君のお父さんの古い知り合いでね。さっき偶然出会って、久しぶりに今から食事でもと思ってるんだ」

「午後の授業だって、出席日数ぎりぎりだろ?」

 また成宮の声。
 急に息苦しくなる。

「これ、今朝撮った写メ。昨日貴崎が言ってた課題、やっぱり掲示板に張り出されてたよ」

 あの日、貴崎を助けてくれようとした。
 救ってくれようとした。
 こんな、最低な自分を。 

「でも……、貴崎」

 生きていた頃に聞いた、最後の幼馴染の声。
 こんな悲しい、寂しそうな声が……。  

 涙がこぼれそうになって、不意に目を開く。

「お前さあ。何でいつも俺の保護者気取りなわけ?
 そういうとこがうざくて昔から嫌いなんだよ! 頼むから、俺の事は放っといてくれ」
  
 貴崎は驚いた。
 たった今、無意識に自分の口から発せられた暴言。
 
 言ってしまった後、口をあんぐり開けたまま、瞳だけをきょろきょろと動かす。
 目の前にあるのは、辛そうな成宮の顔。
 そして町の喧騒と空気の匂い。
 車の音に、踏み切りの音、遠くから頭に直接響く無数の靴音、話し声。鼻を突く微かな排気ガスの匂いと煙草の香り。

「行こうか」
 背後から響く男の声に貴崎は固まった。

 駄目だ、消えてしまう――。
 またあの暗闇の中に――。

 愛しい褐色の瞳を見つめたまま、貴崎は―― 二度、瞬いた。


 

 視界が途切れたのはその直後。
 
 パソコンを立ち上げた時の様な、小さくても耳障りな機械音。何かの設定を読み込むかのように、かたかたと鳴り、視界が暗転した。
 
 そして白一色。
 目を開けていられない程の眩しい世界が明けた。

 薄目で確認すると、どうやら貴崎は濃霧に包まれている。
 天国――?
 
 思うやいなや、足元で激しく吠える犬の鳴き声。
 
 首輪をした小型犬が貴崎の足元で威嚇丸出しで吠え騒いでいる。
 毛は白くて長い。モップのような犬。どう見てもマルではない。

 「コラ!」
 突然間近から聞こえた女の声に制されて、犬は引きずられるようにして遠ざかって行った。
 霧の中に現れた犬の飼い主らしい初老の女は、そのまま背を向けすぐに見えなくなる。
  
 周りの景色をざっと再確認した後、振り返ってみると――見慣れた鳥居が背後にそびえ立っていた。
 鳥居が囲む四角の中からは、あの世へ続くかと思えるほど天高く立ち上る石階段が続く。
 
 そこは毎朝登校時間に成宮と待ち合わせる、馴染みの場所だった。
 
 母親に手を引かれて通り過ぎようとしていた園児が不思議そうに貴崎を見上げる。
 
 懐かしい。
 朝露を含んだ土の匂い。 
 
 このシチュエーションなら覚えている。
 貴崎が死んで、初めて迎えた朝。
 自分が死んでいると気がついた、七日間の始まりの日だった。
 
 もしかしてと淡い期待を抱きながら、道の先を一心に見つめる。
 
 貴崎の予想が正しければ――。
 
 「あ」と小さく声をあげる。

 やっぱり――。

 向こうから、紛れも無い、あの褐色の瞳が歩いてきたのだ。
 
 成宮は足元を見詰めながら、冴えない表情でこちらへ歩いて来る。
 
 貴崎は呼吸も瞬きも忘れて、幼馴染の姿に見入った。
 頭と胸の奥に断続的な鈍痛と、ひどい金切り音が鳴り響く。
 
 もしも……もしも、あの時。貴崎が二度瞬いたことで、時の流れが変わっていたら――。
 未来が書き換えられていたら――。
 
 間違いなく、貴崎の声は成宮に届くはずだ。

 鳥居に差し掛かる手前で一度足を止めて顔を上げた成宮は、貴崎と目を合わせずに、また足元に視線を落とした。

 不安が募る。
 あの時と同じように、成宮には貴崎が見えていないのではないか。
 
「と、とぉま……?」
 意を決して発した声は、自分でも聞き取れないほどの弱弱しいものだった。
 
 すると成宮は――貴崎の目の前を通り過ぎたのだ。

 まるで、そこに何もないかのように。

 


 そう簡単な事ではない――マルの言葉が反響する。
 
 やはり未来は書き換えられなかった。
 
 貴崎もまた、生き返りはしなかった。

 全てが終わったと思った、次の瞬間。
 足音が止まる。

 数歩離れた場所で、パーマがかった焦げ茶色のふわふわとした髪の毛が揺れて、こちらを振り返ったのだ。
 貴崎は目を見開いた。

「なんだよ……貴崎。昨日は放っとけって言ってたくせにさ。俺のこと、嫌いなんだろ? そんな顔されるとさあ……放っておけなく、なるだろ……」

 むっとした褐色の瞳は、確かに貴崎を見つめている。

「とおまっ……。お、俺のこと……、見えるのか……?」

「……貴崎?」
 眉をひそめて不審そうに成宮は首を傾げる。

 幼馴染の大きな瞳に自分自身の姿が映っていると気がついて、貴崎は力いっぱい成宮に抱きついた。



 
「貴崎……? あ、あのさ、俺別にそんな泣かせようと思って言ったんじゃ……ただ、貴崎が昨日あんな風に言ったから――、ごめん、ホントに。俺が悪かったよ、ねえ……貴崎? だからそんなに」

 いきなり同じ制服の高校生に抱きつかれ、その上えんえんと声をあげて泣かれた成宮は大いに慌てた。
 立ち止まる人目から逃れ、鳥居をくぐって階段脇の木の裏へ貴崎を引っ張って行き、うろたえた様子で何とか貴崎をなだめようと必死に言葉を取り繕う。

「ねえ、本当にごめん! もう絶対あんなキツイ言い方しないからさ、ね?」

 成宮の胸元をぐちゃぐちゃに濡らしながら、激しく首を横に振り、そんなんじゃないと子供のように泣き喚いては成宮を困らせる。

「違う? 違うの……? じゃあ、どうして泣いてるの? 貴崎……?」

 優しい声に身体が粟立つ。また涙が溢れ出す。 
 何度もうわ言のように名前を呼んでは、頬をぎゅうぎゅうと摺り寄せて力いっぱいにしがみ付く。
 
 何を聞いても泣くばかりの貴崎に、成宮は諦めたようにふうと小さく息を吐いた。

「また怖い夢でも、見たのかな……?」

 あまりに優しい声が耳元で響いたので、意識が遠退き始めた。
 温かい大きな手が、髪を撫でる。

 そうだ――なんて、怖い――怖い夢を見ていたのだろう――。

 シャツ越しに触れる成宮の肌は、火傷しそうなほど熱い。
 耳を澄ませば、とくんとくんと軽やかな音が聞こえる。 
 
 静まっていく呼吸、緩み始める鼓動。
 水を吸い込んだように全身が重く、それに首がたいそう痛い。

 立っていることが出来ずに全身から力を抜くと、ふわりと受け止められる。

「貴崎? 貴崎……っ!」
 慌てている幼馴染の声を微笑ましく思いながら、久しく訪れた睡魔に身を委ねる。

 掌からするりと、ちりめん生地がすべり落ちるのを感じた。
 頬を包む熱い肌にのぼせるように目を閉じる。

 少し先延ばしになりそうだとくすりと笑った。
 それでも、もう一度息を吹き返した幽霊は、いつか大好きな人の身体に溶けて、熱い血潮になることを夢見ている。 





【後書】(w_-; ウゥ・・毎度おなじみ寝落ちでござ~いm(*- -*)mス・スイマセーン
な、なんかこんな展開で怒られたらどうしよう……(ーー;)

あ! C様、ありがとうございます! 自分でも、いやびっくり!! 出来るだけ早く前回分修正致します⊂((〃/⊥\〃))⊃ウキャ♪ 改めてコメレスしますね~♪♪
今回は今までで最長になってしまいましたが、もう話を割る力もない……。゚(゚*ω⊂ グスン
読み直し一回なので、もしかしたら明日手直し入れるかもしれません。(*_ _)人ゴメンナサイ
ではでは(*´ω`)o。゚:.・+GOOD NIGHT+・.:゚。o(´ω`*)
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

コメント

八月さんお返事♪

(=゜-゜)ノニャーン♪ 八月さま~♪♪(←出だしがキモイ……)
いつもありがとうございます♪♪

実はさっき最終話更新したところで……(^^;)
毎度お返事が遅れてしまってすみません!!

こんな所に書いても仕方ないんですが、連載毎週楽しみに拝読させてもらってますヾ(@⌒▽⌒@)ノワーイ!
旦那がお風呂入ってる間に携帯で(笑)
ああ、八月さん!! 旦那さんにいいとこまでカミングアウトしちゃってるじゃないですか(ノ゜⊿゜)ノびっくり!! 私も頑張ります(何を……)
そして後書に私の名前なんて出して頂きましてありがとうございます(*ノノ)キャ
密かにうれしはずかしで喜んでおります((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪

またゆっくりメールさせて下さいね~♪♪
ありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ

No title

こんにちは、お邪魔してます♪
「もしかしたら生き返ってくれるかも…」と希望的観測を抱いていた八月ですが、時間を巻き戻して、ということだったんですね~。マルちゃんがお宝と言っていたので、てっきり反魂香とか魂返しの玉系かと^^;(←ゲームヲタの発想ヾ(´ε`*)ゝ)

本当に生き返ってよかったです。良かったね~貴崎くん~(;ω;) 成宮くんも無事だし~。(成宮くんも生き返らせる為に時間巻き戻しのほうなんですね^^*)
それにしてもユウコさんが祐子さんで祐、だったんですね…なんか、しみじみとしちゃいました…。絶対このまま死なせたくないだろうな、って。生き返る可能性が少しでもあるなら、それにかけるだろうな、って。

ラスト1話ということで、もうここにきて驚かさせられっぱなしですが、更新楽しみにしてます!^^*
 

limeさんお返事♪♪

limeさ~ん♪ご無沙汰です(*・ω・)*_ _))ペコリン

途方もなく長い文章、読んで頂いてありがとうございました♪♪
そしてお返事が遅れてしまって申し訳ありませんm(_ _)m

なんか「時間のひずみ」なんて、安いファンタジー小説みたいになってしまいました……(;^ω^)
「時間が巻き戻る」という設定。最初にプロットを考えていた時は、実際書く頃になったらもう少しリアリティのある、まともな表現に持っていけるだろうと適当に思っていましたが、結局当初の設定のまま、ちょっと子供だまし的な感じになっちゃっいやした。このへん、次回完結後の後書でだらだら反省しだすと思います、私(笑)

「呵責の夏」楽しませて頂いてます♪ もっぱら朝6時に起きて、お弁当を作り出す前(旦那と息子が起きて来る前)に、携帯で拝読させて頂いています☆
なので、悲しい展開になると、朝から気分がやや暗めに……ヾ(-ε-o)ォィォィ
でもlimeさんの小説ですから、ちゃんと晴れ渡った気持ちで完結を迎えられるはず♪♪ だからちょっと辛い展開も頑張りますよ~私!!(←なんか他にもっと頑張らないといけない事があったような……┏(゚ェ゚)…)
またブログの方にお邪魔させて頂きますね~♪♪
βуё★ (o'ω'o)ノ ★ βуё
 

けいったんさんお返事♪♪

ご無沙汰しております(ωV_vω)ペコ
お返事遅くなって申し訳ありませんゴメンナサ──・゚・(。>д<。)・゚・──イ
いつもありがとうございます♪♪

手直しするかも……なんて身勝手なことをほざいておりましたが、一度手放した文章……手直しする気にも、というか読み返す勇気も無く、結局このままです。゚(゚´ω`゚)゚。ピーなんとまあ勝手な……。

そんなこんなで次回完結となりましたが、楽しんで頂ければ幸いです。
ありがとうございました゚+。゚ アリガ㌧ ゚。+゚d(`・Д・´d)
またお待ちしていますね゚+。スリ(*u_u人u_u*)スリ。+゚

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ボ───( ゚ ρ ゚ )───ゼン

もう 裕と冬馬が 仲良く あの世へ~~~~って ビビってしまいましたよー゜。+:。(pωq)゜。+:。
時間のズレに入り込み 人生を リセットするなんて 素晴しい!ヤンヤ・ヤンヤ(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ

でも 手直しありかも?なんでしょ! 今晩か 明日にでも また訪問させて頂きま~す♪
(^^)ゞbyebye☆

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
訪れ人様
覗き人様
現在の閲覧者数:
小説
最新中毒記事
最新コメント
りんく (☆→R指定なし ★→R指定あり)
らんきんぐ↓
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
めーるふぉーむ




検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。