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4分でバッドエンド(not BL)

 私は生きてはいない。
 この世に存在しない。
 この世の誰の記憶にも存在しない。

「話っていうのは何……」
 目の前に現れた愛しい人。
「あなた……どうして警察に追われてるの?」
 あなたが質問を口から吐き出し終える前に、早口で問いただす。
「レイ……それは。それは君には言えない。言えば、君も警察に追われることになる。君と別れたのも、そのためだ」
 倉庫内に反響する、張り詰めた愛おしい声。
 
 しばらく音の無い空間が倉庫に充満して、空気を鎮める。

「七月二日の夜。図書館裏の森」
 私はゆっくりと、最後のキーワードを口にした。

「……君は。やはり」
 悲しそうに見つめる大好きな漆黒の瞳。

「やだ。やっぱり気付いてたのね? どうしてわかったの?」
 あなたはしばらく言葉を失う。
「……この腕時計が俺の目を離れて、発信機が付けられるのは、君の部屋のシャワーを浴びる時ぐらいだ」
 あなたは寂しそうに、視線をコンクリートの床に落とした。

「そう。話が早いわ。あの少年はどこ?」
「残念だが、大切な教え子を売るわけにはいかない。あの殺人は、あの子の意思じゃない。……止めてやれなかったのは俺の責任だ」

 私は浅くため息をつく。予想通りの展開。
「君は俺を殺しにきたんだろう? 死神のレイというのは君のことか」
「そうよ。ちゃんと会った時から名乗っていたでしょ? レイって」
 私は悪戯な笑いを浮かべる。
「まさかこんなに若くて綺麗な女性だとは思っていなかったよ。殺し屋といったら男だからな」
 あなたは少年の目をして微笑む。
  
「もう一度聞くわ。少年はどこ?」
 私は静かに腰を上げて、銃を取り出して、ゆっくりとあなたに向ける。
 あなたは銃口から目を逸らす事が出来ない。
 
 もっと。もっと私を見てよ。最後くらい。
「……言えないよ。」
 知ってる。
 あなたがそう答える事は。
「そう。分かったわ」
 私はゆっくりトリガーを引く。
「君のような美人に殺されるなんて、俺は運がいいな」
 あなたはまた微笑む。
 最後に大好きな笑顔が、二度も見れて胸が詰りそうになる。
「今まで殺してきた人間もそう言ってくれたわ」
 
 私は生きてはいない。
 死神の顔を見た者がいないように、私の顔を見て正体を知った者が生きている事が無いから。
 私の名前と顔が一致した者は必ず殺す。今から殺す者だけが私の顔と名前を知る。

「さあ、ひざまずいて、目を閉じて。あなたはクリスチャンじゃないから、お祈りの時間なんていらないわよね?」
 
 みんな私のことを覚えてはいない。死んでしまうから。
 私が殺した者たちは私の記憶の中で生き続ける。

「一つだけ。一つだけ言わせてくれないか」
 
 この世に生きている人間の、誰の心にも存在しない私。
 この世に存在しない私。
 生きてはいない私。

「最期の言葉ってやつ? 聞くのが私でいいのかしら」
 
 初めて生きたいと思った。
 あなたと出遭った時。

「いや。君じゃなきゃ意味が無いんだ」
 
 あなたの記憶の中に私という存在を刻みたい。
 私が生きたという事を。あなたを愛したという事を。
 
「本当に愛してた。どんな理由であろうとも、君に会えた事が俺の人生の中で一番幸せな事だったよ」
 
 あなたの記憶の中に生まれて、あなたの心の中で生きていきたい。
 あなたが死ぬ時が、私の本当の死。

「知ってるわ。私もよ」
 銃口をこめかみにあてる。

 ずっと夢見ていた。
 あなたが死んで、私が存在しない世界よりも、あなたが存在して、私が生きている素敵な世界を。

「さようなら」
 
 響き渡る銃声。
 同時にひっくり返る視界と、頭に響く強い衝撃。
 火薬の匂い。
 
 冷たいコンクリートに打ち付けられる体。
 頬に感じる自分の温かな血液。
 
 何も受信できなくなったラジオの様に、頭の中で雑音が鳴り響く。
 どんどん大きくなる雑音の遠くに、サイレンの音が混じる。

 ゆっくりと動く世界。
 私を見下ろすあなたの目。
 
 嫌だ。最後にそんな顔を見せないで。
 もっと私の大好きな笑顔を見せてよ。
 
 他の人間の中に、初めて私という人間が生まれる。
 愛おしいあなたの中に、私が生まれる。
 こんなに嬉しい事はないのに。
 泣いていないで、もっと笑ってほしい。
 
 こんな暗くて汚い倉庫で私は生まれる。あなたの中に。

 「レイ」
 愛おしくて仕方ないあなたの声。
 私が生まれて初めて聞いた声。

 頬に触れるあなたのぬくもり。
 生まれて初めて知るぬくもり。

 あなたの涙が頬を伝って落ちる音。

 私が生まれた音。




少し前に書いたSSです。
読んで頂きありがとうございました。
貴重な四分間を頂戴いたしました┏○ペコ
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テーマ : 小説 - ジャンル : 小説・文学

しゃべり猫


「ああ、別れたんだ、あの男。まあパッとしない男だったんもんな――」
 彼はステレオの上で前足をなめながら、そうつぶやいた。
「そのパッとしない男と2年も付き合って、浮気されて振られた」
 私は鏡に映った自分の顔をじっと見つめたまま呟いた。
 後ろの方に大きな黒い毛玉が映っている。年々体の縞柄が消え、もはや黒猫である。
「振られたのか!?
 おまえ俺の倍以上も生きてんのに全然駄目だな」
 彼は私が恋人を振ったものと思っていたらしく、前足をなめるのを中断してこちらを凝視した。
 彼のエメラルドグリーンの眼には、浮気をされてまで2年の時を費やす価値のある男には見えなかったのだろう。
 それが正解であった。
 彼の透き通った瞳はいつも私には見えないものを見ている。

 6年も一緒にいる飼い猫と、会話が成立していると気がついたのは一週間程前である。
 彼は猫トイレの前で、新しく買い換えたトイレの砂の砂埃がひどいと文句を言っていた。
 私は言葉が理解できることに少し驚いたが、物価が上がっている事や我が家の経済状況をまじえて説教をしてやった。
 一応夕食の時に、猫トイレの砂を前の種類に戻すことを母に提案してみたが、案の定父の定年による経済難を理由に却下された。これ以上の要求は自分の財布の中身を直撃しかねないとみて、私は大人しく引き下がった。
 そう、結局はこうなのだ。私一人猫一匹、言葉が通じてもこの程度である。何も状況は変わらない。
 だからといって、もし彼が人間の言葉で直接母に訴える事ができたとしても結果は同じであったに違いない。
 お互い相手の力の無さを実感した瞬間であった。

 あれから一週間。私は猫の世界に興味がわくどころか、今までしてきた飼い猫の前での傍若無人ぶりをひたすら恥じていた。
 幸い彼は元々口数の多い方では無いため、何かを要求する時以外は特に話すことは無く、私の今ままでの恥ずかしい行為に対するコメントも口にすることは無かった。
 私は自分から言い出して飼った猫でありながら、家族で一番世話をせず、薄情ながらそれは彼と会話ができるようになっても変わらなかった。 
 彼も私と会話できると分かっても、怒れば容赦なく私の足に噛みつくし、私の鞄で獣医に褒められた自慢の爪を研いだりする。
 お互い今までと変わらず自分の生活をおくった。
 

 しかし今日は仕事から帰るなり、着替えもせず机に座ったまま動かない私を見てさすがに心配になったらしい。
「何かあった?」
 珍しく向こうから話かけてきた。

 彼とプライベートの話をするのは初めてだった。
 話しているうちに鏡の中の自分の目が真っ赤になっている事に気がついた。
 急いで鏡を閉じて、机に頭をつけて顔を隠した。何だか兄弟に涙を見られるようで、彼に見られるのは恥ずかしかった。
 
 悲しかったのでは無い。情けなかったのである。
 悔やむべきはあの男では無く、あの男に惹かれた自分自身である。
 25歳にもなると、失敗した原因を求めもしないのに冷静に判断してしまう。

 しばらくして、ふわりと温かい毛が頬のすぐ横にあることに気づいた。
 いつの間に横に来たのか。さすが猫である。
 彼が隣にいるだけで空気が温かかった。
 
「ありがとう」
 私は顔を伏せたまま、初めて彼にこの言葉を言った。
 
 言った途端に眼の周りが余計に熱くなるのを感じた。
 思えばずっと昔からこうであった。私が一人で泣いている時、彼は必ず何も言わずに隣にいる。
 お互い干渉しない間柄の飼い猫は、2年連れ添った彼氏よりも必要な時に隣にいてくれる。
 会話できる今も、彼は何も言わずに変わらず隣にいた。

「ねえ。魔法とか知らない? 猫が人間になれるような……人間が猫になるのでもいい。
 そしたら私と付き合えるでしょ?」
 かすれた声で呟いたが、すぐにバカらしくなった。25歳にもなって魔法とは……。
 でも彼が恋人であったらと、本当に今は一瞬そう思った。

 急に頭を上げた私に、彼は薄暗い室内でただでさえ丸い瞳を更に丸くして驚いた。
 それからしばらく静かな時間が流れた後、彼はため息をつきながら前足を折り曲げてその場に座り込んだ。猫もため息をつくんだ。

 「いつも眼に見えるかたちにこだわり過ぎなんだよ……。
 会話できても変わんないんだ。猫というかたちを変えても何にも変わんないよ」
 
 またしばらく静かな時間が流れた。
 彼はいつでも正しい。
 彼が人間になっても、私が猫になっても二人の関係は何も変わらない。
 私自身が変わるわけではないのだから。またパッとしない男に惹かれるのだろう。
 眼に見えない私自信の何かを変えなくては……。
 私はもう泣くのを隠す事もせず、涙は頬をつたって机の上に静かに落ちた。

「でも俺もし人間になっても、男の写真に一人で話しかけてキスしてる様な女は嫌だな。なんか見てて痛いし」

 寝ているふりをしていたのは分かっていたが、いざ口に出されると自分の恥ずかしい行動に顔が熱くなる。

 がっつり尻尾をつかんでやろうとした瞬間。彼のほうが一瞬早く何かに反応して立ち上がった。
 そして私の左手を、全ての足で踏んづけて、眼を細め鼻をくんくんさせて部屋を出て行った。 

 そういや夕食は鮭のホイル焼きだって言ってたな。
 遠くで階段を急いで駆け下りる小さな足音と、猫の鳴き声がした。 

テーマ : 小説 - ジャンル : 小説・文学

妊婦と死神


女が席に帰ってみると、自分を殺しに来たと言うその男は、昼食を半分以上もたいらげていた。
「どう? ここのリゾット?」
 女はそう聞きながら椅子を引いて再び席に着く。
「いや――素晴らしいですね。さすが雑誌に紹介されただけのことはありますよ。
 スモークサーモンとパルミジャーノ・レッジャーノの相性が最高だ……」
 男はやや早口にそう言った。特徴ある黒縁の眼鏡が少し反射して光った。
「そう。それは良かったわ」
 私はたった今それと同じような物をトイレの洗面所に吐き出してきたけれど……女は心の中で静かにそう呟き、目の前に置いてあるサラダに目をやった。男の皿とは対照的に、運び込まれた時の姿をそのまま留めている。
 二日前から続く悪阻《つわり》と呼ばれるであろう、船酔いのような胸部の不快感は、起床直後の三分間を除いて、二十四時間体制で休むことなく女を苦しめている。
 女は食事に手をつける事をあきらめて、背もたれに体を預け、煙草に火をつけた。
「よろしいのですか? 胎児に差し障るのでは」
 男が眉をひそめた。
「まだ決まりじゃないわ。確定したら止めるの」
 女は唇を薄く開け煙を吐き出した。メンソールの香りが心地よい。
 まだ中身が半分以上も残っているショートホープの箱を女はテーブルに置いた。このまま置いていくつもりである。

 女には自分が妊娠しているという確信があった。女の第六感などでは無く、体の火照りや時期的なものはもちろん、何より99%の精度をうたう妊娠検査薬の物証があった。しかしその事は女以外に知る者はいない。……はずであった。今朝、目の前にいる男に話掛けられるまで。

「ああ! すみません。あなた妊娠されてませんか?」
 女は車のドアにかけた手を止めた。紺のスーツに眼鏡をかけた、いかにも公務員のような若い初対面の男が、何故自分の秘密を知っているのか。女は夫にさえ、妊娠しているかもしれない事は話していなかった。
 この世にそれを知り得るのは女だけのはずなのに何故。答えは簡単だった。
「私こういう者でして――あの世の方から参りました」
 この世の者では無かったからである。

 まさに産婦人科に行こうと思った時にそんなことを言われ、女は柄にも無くうろたえてしまった。
 妊娠検査薬を買う姿を見られたのかと思い、このストーカーを警察に突き出すことも考えたが、あいにく女は警察に頼れるような身の上ではなかった。ばれていない自信はあったが、これまでに女がしてきた事は、大雑把な女自身がざっと見積もっても、有罪か無罪かと問われれば、有罪という見解だった。
 その上、男は申し訳無さそうにこう囁いた。
「その――妊娠の件に関してなんですがね。ちょっとこちらの把握が遅れておりまして……。あなた様はいろいろと公に出来ない過去もお持ちですし、私の方が直接聴取をさせて頂きたいと思いまして。あの――今お時間大丈夫ですか?」
 女は驚愕した。最近話題の個人情報の流出とは、ここまでなのかと怖くなった。女はとりあえず助手席に男を乗せることにした。
 女は殺気立っていた。世の中の妊婦が、いずれ産まれてくる我が子を思い、ふんわりとしたマリア様のような母性愛に包まれていると思ったら大間違いだ。悪阻による体調不良と、自分の下腹部を守ろうという無意識の防衛本能により、隣に座る男の一人や二人最終的には何とでもしてやろうという気分になっていた。
 ところがそんな女の気持ちとは裏腹に、男は女の愛車であるRX-7に乗車できる事に心底興奮していた。車が走り出してからもそれは治まる事はなく、先週取り付けた自慢のタコメーターに話が及ぶと、女の方も嬉しくなってしまい、ついつい夫には通じない自分なりの愛車へのこだわりを語ってしまった。
 そんな事だから、二人の会話は車の中ではまったく確信に触れることはできず、病院に行くにも行けず、しかたなく男が鞄から取り出した「下界ウォーカー」なるものに掲載されていたイタリア料理店に「そこなら知ってるわ」と車を走らせた。
 
「ねえ、あなた死神なんでしょ? 私を殺しにきたの?」
 サラダと引き換えにテーブルに置かれたコーヒーカップに手をつけ、女が言った。
「とんでもない! 死神と呼ばれる事があるのは事実ですがね、それは大きな誤解です。私の様な一職員が人間の命を奪えるはずがない! それに今回は……」
 男は上半身を乗り出して憤慨した後、咳払いを一つして、事務的な口調で話し始めた。 

 女が妊娠するのはあの世でも想定外だったという。
 女は今までに間接的とはいえ二人の人間を死に追いやっている。女が認識していたのは一人だったが、どうやら女が消えたすぐ後に自殺した男がもう一人いたらしいと知った。よって女はその罰として近々死ぬはずだったのだ。ところが思いがけず妊娠してしまい、あの世は大いに慌てた。女なのだから、それぐらいの可能性は想定してもくれてもいいのにと女は思ったが、実際のところ他の処理に追われていて、想定される事例自体立てていなかったというのが事実らしい。何ともお役所仕事である。
 妊娠したことで新しい命が一つ産まれる為、女が死に追いやった二つの命の内一つはチャラになるという。だが、残る一つ命を死に追いやった分の罰を受けなければならない。しかし妊娠している女に罰を与える訳にもいかず、その分は身内に降りかかるという。さすがに人の罰を他の人間に振り分けるのだから、そこは慎重にということで、あの世の職員自ら妊娠の事実を確認しに来たらしい。。
「むちゃくちゃね」
 女は呆れた。まず妊娠したら自分が殺した分の命が一つ分チャラになるというのがおかしい。それが本当なら子沢山の大量殺人鬼は無罪になる。
「そういうご意見は度々頂いておるんですが……こちらも膨大な情報を管理しておりまして、このような希少ケースには対応策が遅れているのが現状でございます」
 どうやらあの世のシステムとは、下界で言う役所と一緒で、全てが形式ばって正しいように錯覚する反面、実際は適当な部分も多いのだと女は認識した。
 現に自分の様な悪人が生き残っていて、生きているべき善人が二人も死んでいるではないか。
「ねえ。でも身内に私の罰が降りかかるなんて困るわ。勝手なのは分かってるけど。何とかならないの?」
 女の頭には、もう何年も会っていない年老いた両親と、眼鏡をかけた優しい一重の男が浮かんだ。
 その誰が見ても優しそうな男は、現在の女の夫であり、かつての獲物でもあった。

 
 女は台所でシーフードパエリアを作っていた。これは女の一番の得意料理で、最後の夜はいつもこれと決めている。
 しかし先ほどから、慣れているはずの料理がうまく進まない。居間で彼が座っているソファーの前のローテーブルに、不覚にもクライアント用の携帯を置き忘れている事に気がついたからだ。更に運悪く、その携帯は彼の目の前で、別の男の名前をピカピカと表示して着信してしまった。
「携帯鳴ってるよ」
 ニコリと笑って台所に届けてくれる彼を見て、女は青ざめた。
 しかし何も気付いていない可能性もあると女は考えなおした。なにしろ彼は、人に不信を抱くという事をまったく知らないからだ。付き合い始めて五ヶ月。予想以上のスピードで彼の免許書や印鑑・クレジットカードまでもを女は手にしていた。キスさえせずに、ここまで順調に行ったのは初めてで、いつもこんな獲物ならいいと思っていた。
 そんな事を考えていたら料理はいつのまにか出来上がり、携帯の着信など大した事ではないかのように感じられていた。
「いただきま――す」
 女は最後の晩餐を楽しむかのように手を合わせてから、パエリアを食べた。
 一口食べて手が止まった。集中していなかったせいか、調味料の分量を間違えた。サフランか塩か……とにかく苦い上に塩辛く、いくら白ワインと一緒だと言っても、酒のつまみにもならない味だ。
 やり直しだ。次回もう一度ちゃんとしたパエリアを作ろう。せっかく荷造りしたのに無駄になったと女は寝室に用意していたスーツケースを思った。
 そんな事を考えている間に、彼が一口目のパエリアを口に運んでしまった。
 女が何か言おうと口を開いた瞬間、彼は言った。
「うん。おいしいね」
 女はスプーンを置いた。女は空気が薄くなるのを感じる。
 死神のようだと噂されるほど今まで沢山の人間を冷酷に地獄に陥れてきた女が、こんな些細な事で相手を裏切れなくなってしまう。女は自分のもろさを実感した。
 だまされていたのは自分だったと気付く。いや、だまされていたのではなく、裏切ることを知っていて気付かない振りをしていてくれたのだと。夢を見させてもらっていたのは自分の方だったと。
 しばらく宙を見つめていた女は「ごめんなさい」と呟いて、彼と自分の分の皿を台所に下げた。
 台所でパエリアを皿ごとゴミ箱に捨てた。
 そして居間に帰って、驚く彼に抱きついてキスをして言った。
「ずっと私の傍にいて。一生離れたくないの」

 
 診察室から帰ってくると、待合室では例の男が、お腹の大きな妊婦と雑誌を見ながら雑談していた。
「いや――最近の子育てグッズの進化には驚きました! それに男性用などもあって、父親が子育てに参加する時代なのですね――」などと話している。
 窓口に診察券を取りに行くと、先ほど旦那様にお渡し致しましたと、受付の看護士が男の方に手を差し伸べた。
 ため息をついて男のもとへ行くと、男は丁寧に隣の妊婦に頭を下げてから女に診察券を返した。
「どうでした?」
「うん。妊娠していたわ」 
「そうですか――おめでとうございます!」
 男は心から喜んでくれているようであった。
「先ほどの話ですけどね。やはり赤ちゃんが生まれるのにあなたが死んでしまっては――」
 隣の妊婦の顔が曇る。産婦人科の待合室に死神がいるとは……女は呆れながら男を外へ連れ出した。

「本当によろしいのですか? 赤ちゃんが産まれてくるのにあなたが死んでしまっては子育ては誰がするのです?」
「あんたもさっき雑誌見たでしょ? もう男が子育て出来る時代なの! 私の旦那は私よりずっと子育てがうまいはずよ。男でも育児休業だってとれるんだから」
 車の鍵を開けながら答えた。
 女は死神をうまく説得し、自分が出産したあと罪をつぐなって死ぬ代わり、身内へ自分の罰が降りかかる事を止めるよう約束させた。死神は昼食をおごってもらった事もあり、微力ながら頑張らせて頂きますと折れた。人間が想定外に一人増えるという事だけでも、かなりの事務仕事が増えるのですが、と死神はぼやいた。
「産まれた赤ちゃんの顔が見れないままって事もあるかもしれませんが……よろしいですか?」
 女は穏やかに笑って答えた。
「もちろん」

 帰りに女は男を駅まで送った。
「あの世へは電車で帰るわけ?」
 女はロータリーに車を止めた。
「決められた経路じゃないと経費が落ちないものですから……」と男は苦笑した。
 女も苦笑してから男の目をじっと見た。
「いつまでもそんな役所みたいな所に勤めてたら、使うだけこき使われて、不祥事全部背負わされてくびになっちゃうんだから」
 女は悪戯っぽく言った。
「そうですね。私も生まれ変わってこういう車に乗るかな――」
 そういって、男は流線型の白いボンネットを眺めた。

 死神を見送ってから、女はすぐに夫に妊娠を報告するメールを打った。
 五分もしないうちに夫から着信があり、喜ぶ彼の声に女も表情がゆるんだ。
 彼は帰りにお祝いのケーキを買って帰ると言った。悪阻で女が気持ち悪いと断っても、あの店のチーズケーキならさっぱりしていて食べれるだろうと聞かなかった。女は嬉しくてしかたがなかった。残された時間を彼と過ごせることを、あの世で事務仕事に追われているであろう神とやらに感謝した。
 女は帰りにスーパーへ寄って買い物をした。
 気がつけばずいぶんと日は傾いていた。
 女は愛車のドアを閉めた後、夕日に見とれてその場に立ちすくんだ。こんなに透き通った夕日は初めてだと思った。女の心は驚くほど穏やかだった。
 スーパーの袋に入ったパエリアの材料がずっしりと重たかった。


「はい。力抜いてくださいね――」
 優しい女医の声に女は浅く深呼吸をした。
 下腹部から下はカーテンで隠れているものの、やはり産婦人科の診察台は緊張する。
「あら」というカーテン越しの緊迫した声に、嫌な想像が一瞬頭をよぎる。
「ま――おめでとう! ツインズちゃんですね――」
 女は驚いた。
「双子ちゃんはお母さん大変だけど、生まれた時の喜びも二倍ですからね。がんばりましょうね」
 そう言って、カーテンから初老の女が顔を覗かせた。 
 
 ブラインド越しに、RX-7を見つめて何かぼやいている、眼鏡をかけたスーツ姿の男が見えた。

テーマ : 小説 - ジャンル : 小説・文学

優しい七不思議


「すみませ――ん。年に一回の点検なもんで……毎年忘れて同じ間違いするんだよね――」
 そう苦笑しながら、作業着姿の男は雑巾で水浸しになった廊下を、がさつに拭いた。
 ようやく状況を理解した女も、苦笑しながら小さくうなずき、ポケットから手帳を取り出した。

―― 七里小学校 七不思議 第一の怪 自殺した少女の涙で濡れる視聴覚室前の廊下 ―― 

 女はメモ欄に書かれたこの項目を、二重線で丁寧に消した。
「先生この春からの新任でしょ? 大変だね――そんな若いのに小学校の宿直だなんて。今時、先生が宿直する学校なんて珍しいよ」
 黒縁の眼鏡に、ベージュのスーツ。どこからどう見ても教師にしか見えない女に、初老の男は同情の目を向けた。
 女は「はあ」とだけ返事し、その場を男に任せて、宿直室へ戻った。

 やかんに水を入れ、火にかけた。古びて形がいびつになったやかんは、蓋がうまく閉まらず、半ば力ずくでねじ込んだ。
 女は畳に座り、傷だらけのちゃぶ台に手帳を広げ、ため息をついた。
 生徒達が脅える、どこの学校にでもあるような七不思議。その第一項目目に載っている視聴覚室前の廊下は、自殺した少女の涙ではなく、年に一度の水道管点検で、旧式バルブを毎年閉め忘れる水道局局員によって水浸しになるのである。
 自分も小学生の時には、どこからともなく噂で聞く七不思議に好奇心を掻き立てられたが、実際はやはりこんな事だろうと鼻で笑った。

 しばらくちゃぶ台に突っ伏して、うとうととしていると、突然中庭の方から子供の声が聞こえた気がして、目が覚めた。
 ドアの上にある掛け時計を見上げると、もう夜の十時を回っていた。
 女はゆっくりと立ち上がり、中庭に面した窓を開けた。
 眠たい目をよく凝らして見ると、池の向こう側の草陰で、いくつかの小柄な影が動き回っている。

「あなた達何してるの!? 今何時だと思ってるの!」
 池の周りで捕まえた、五人の影を目の前に女は声を荒げた。
 問いただすと、六年生一組から五組の学級委員だと言う。
「何で学級委員が、夜の十時に学校に用があるわけ?」
 女は腰に手を当てて、ランニングに短パンの、可愛い丸坊主に顔を突き出して聞いた。
「先生って新しく来た先生でしょ? 何にもしらないのな――」
 見た目とは違い、案外生意気だったので、女は「何が?」と顔をしかめた。
「俺等六年の各クラスの学級委員は、毎年一学期の初めの夜に、七不思議確認しに学校に忍び込む事になってんの!」
 丸坊主は口を尖らせて、めんどくさそうに答えた。
「何よそれ、この学校のしきたり?」
「まあな。俺等も去年の六年に言われて来たし。代々そういう風になってんじゃない?」
 女は腰に手を当てたまま、深いため息をついた。
「……で、ちゃんと七不思議は確認したわけ?」
 呆れながら聞く女に、少年は不貞腐れたように「まあな」とだけ答えた。

 少年達の七不思議に関する調査結果を聞いた女は、またポケットから手帳を取り出し、メモしてある項目を二重線で消していった。

―― 第三の怪 生徒会室から聞こえる病死した少年の泣き声
   第四の怪 中庭に出没する河童
   第五の怪 一段減って十三段になる屋上への階段
   第六の怪 交通事故死した先生の血に染まる音楽室のピアノ ――
 
 合わせて四つの項目が消えた。
 五人の学級委員の調査によると、生徒会室から聞こえる泣き声は、ただの窓の閉め忘れによる風の音で、中庭に出没するのは、河童ではなくヌートリアという学校に住み着いたでっかいネズミ。屋上への階段は毎日十三段で、最後の段を入れるか入れないかだけの数え方ミス。血に染まるピアノにいたっては、先程の水道局局員による功績が大きく、日頃使われていない水道を開けるために起こった、錆を含んだ水のつたい漏れだった。
「こんなことだろうと思った……諸君、全然不思議じゃなくて残念だったわね」
 女はちょっと威張りながらそう言った。
「別に……。俺等は最初から卒業生に教えられてたし、全然残念じゃね――よ。先生こそ、何メモってんの?」
「ん?ちょっと気になってね。学校新聞の題材にでもしようかと思って……ついに明かされる七不思議の真相!ってね。どう? 読みたくなるでしょ?」
 すると、五人の小学生はわっと一声に怒り出した。
「先生何言ってんの!? ばっかじゃねーの!」
「そうだよ! なんで俺達わざわざ学校に忍び込んでると思ってんだよ!」
 女は、こんなにひんしゅくを受けるとは思っていなかったので「なんで?」と間抜けな返事を返してしまった。
「七不思議が今年もちゃんと実行できてるか、確認するためだろーがよ! 一つでも減ってたら、ちゃんと新しい不思議作って、来年の六年に伝えなきゃいけないんだからな!」
「せっかく俺達代々作って伝えてきたのに、七不思議全部ばらしちゃうつもりかよ! 先生が生徒の夢壊すような事していいと思ってんのか!?」
「そうだ! 低学年の奴等なんか七不思議が消えたら、学校なんて全然面白くとも何ともなくなっちゃうんだからな!」
 女は唖然とした。そして自分の浅はかな考えを恥じた。
 どうやら、この学校の七不思議とは、卒業していく者からの、在学生への優しい嘘であったようだ。それは同時に、自分よりも年下を思いやるという心が芽生えた小学六年生が、一歩大人に近づいた証でもあるような気がして、女には目の前の少年達が少しくすぐったく映った。
 女は手帳をポケットにしまった。
 
 突然何かが宿直室の方から飛んできて、足元に落ちた。
 女と少年達が「わっ」とそれをよけて一歩下がった。 
 よく見ると、地面に落ちたそれは、やかんの蓋だった。
 女が宿直室に戻ってみると、止めたはずのコンロの火がまだ小さく点火していた。古くなったコンロのスイッチに遊びがあって、ちゃんと火が消えていなかったようだ。そのせいで空焚きになったやかんの蓋が、窓から中庭に飛んできたらしい。
 女はホッと肩を落として火を止めてから、また手帳を開いて
―― 第二の怪 校庭を浮遊するUFO ―― という項目に二重線を引いた。

 女は五人の愛すべき生徒達の親に電話をし、向かいに来るように言った。

 それぞれの親に「すみませんでした」と手を引かれ少年達が帰っていく。
 最後に残った丸坊主の少年は
「先生!あの約束絶対だからな! 先生が約束破るなよ!」とまた口を尖らせて念をおす。
「うん。ちゃんと七不思議の秘密は守ります」
 女は膝を曲げて、少年の顔の高さでニコリと笑った。
「あんた!先生になんて言葉遣いすんの!」と怒られながら、母親に手を引かれて暗闇に消えていく。

 少年は、七不思議を全部確認出来ず、自分達の任務を遂行出来なかった事に、実にしょんぼりとして、うつむき加減で歩き出した。
 三四歩、歩いた所でハッとして振り返った。

 校門の傍にあったはずの女の姿が消えていた。

―― 七不思議 第七の怪 校舎を歩き回る裏庭の女教師の像 -―  
  
 少年は母親の手を繋ぎ直し、笑った。

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