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二度瞬く[最終話]

『二度瞬く』


 カーテンに隠れるようにして顔を覗かせた貴崎は、氷のように冷たい窓ガラスに手をあて、息で白く曇らせながら背伸びをした。
 曇ったガラス越し――遠くに見える境内に視線を素早く走らせる。

 一月一日。
 元旦の境内はたいそうな賑わいである。

 参道に大蛇のごとくうねる人の列。社務所の軒下でざわめく多くの人影。
 目を細めて、見渡せる範囲にうごめく顔を瞬時に確認するが、貴崎が探している人物は見当たらない。

 はあと溜息をつくこと数十回。
 今朝からこれの繰り返しだ。

「おい……、祐。CMや!」  

 背後からの邪険な呼びかけに振り返ると、そこには偉そうな小型犬が寝そべってコタツから顔だけ出している。
 窓の外をもう一度だけ名残惜しく振り返ってから、リモコンを掴んでテレビへ向けた。

 CMがスキップされて番組が再開されると、飼い犬マルの下品な笑い声がまたもや四畳半に響きわたる。
 そのつぶれた顔面を横目で睨み、貴崎はコタツの上に顎をのせて深く息を吐き出した。




 七日前まで、貴崎祐は死んでいた。
 
 夢のような話である。
 自分でも悪い夢だったのではないかと疑いたくなるが、そうではなかったという確かな証拠が、今現在目の前で昨夜の録画番組を見て、器用に前足の肘をついて笑い声をあげている。

 死んで以降、幽霊らしい透けた身体で七日間を過ごしてから、なんとも奇奇怪怪な成り行きで時間が巻き戻り、気がつけば七日前の朝、鳥居の前に間抜け面した生身の姿で突っ立っていた。
 時間を巻き戻すなどと、当然正当な手段を使ったわけでもなく、言わばこの世の未完成な部分につけ込んだ裏技のようなものを使って生き返った。

 なんだ、案外簡単だった。
 結局は運さえ良ければ何でもありなんだなと安心しきっていたら、本当に大変だったのは生き返ってからの七日間である。 
 
 あまりの嬉しさに、戸惑う幼馴染に抱きついたあと、それから意識は途切れた。
 気がつけば病院の治療室に寝ていて、家族全員――父と離婚し海外にいたはずの母までもが貴崎の顔を心配そうに覗き込んでいた。
 首は少し動かしただけで声を発してしまうほどの激痛が走るし、歩くなど到底不可能なほど身体が重たい。ひどい吐き気もする。
 このまま激痛と不随の身体で一生を過ごすのかもしれない。
 まさに死ぬほど――いや死ぬ時の方がまだ楽だったと思えるような状態だ。
 
 ところが精密検査を繰り返したのち、「どこも悪くないんだけどなぁ」と首をひねる医者の指示に従って――本人が希望したこともあって、二三日入院した後、貴崎は自宅安静となった。
 家に帰ってからもしんどい日々は続いたが、父と母の手厚い看病と、兄が何も手出ししてこなかった事が功をそうして、やっとここ数日は普段どおりの生活が出来るようになっている。
 
 ただ問題はこの犬だ。
 貴崎の身体を気遣う家族の中で、唯一貴崎を召使のようにこき使う。
 会話が出来るからといって、この真冬にシャンプーをしろだの、おせちを食わせろだのと煩くて仕方が無い。

「やっぱ山ちゃんは最高やなぁ……」
 今も犬らしからぬ独り言を口にしている。

 突然、がらがらと玄関の戸が勢いよく開いた音に、貴崎ははっと身体を縮めた。
 もしかしてと思ったのも束の間、廊下を歩いてくる引きづるような足音で、そうではないとすぐにわかる。

「ちくしょう……寒ぃ」
 襖を開けるなり、そう恨みがましく言って貴崎を睨みつけながらコタツに潜り込んだのは、袴姿の兄だ。

「いいのかよ、店番サボって」
「うるせぇっ! じゃあお前が行け! 何のために袴着てんだよ」
 痛いところをつかれ、貴崎はそっぽを向いて袖をコタツの中に潜り込ませた。

「いいんだよ、あの二人にやらしときゃ。上手くいけば、俺らの家事の負担が減る」
 置いてある煎餅をつかみ取り、ニヤつきながら兄が言う。
 言うほど大した家事なんてしてないじゃないかと言ってやりたいが、ここはぐっと我慢した。

 今社務所で店番をしているのは父と母の二人。
 確かに兄の言うとおり、二人が復縁してくれると貴崎の家事負担は格段に減る。
 
 約十年ぶりに帰宅した母は、小麦色のよく焼けた肌に年齢を感じさせないあっけらかんとした元気な笑顔で、体たらくだった男三人の家庭を明るくした。
 自分を含め、いい歳をした男三人が全員、まるで初恋をした幼稚園児のようにどぎまぎとしては母の背中を目で追っているから情けない。
 父に至っては、いつも以上に平然を装っているが、離婚して十年以上も経つというのに、実は母に未練が大有りなのだ。

「ぅわっ!」
 何の前触れもなく股の間に大きな違和感が出現したので、貴崎は思わず声をあげた。

「変なとこ触んなよ!」
 慌てて両足を閉じ、コタツの中に突き出た足袋を追いかけて思い切り蹴るが、悲しいことに足を引っ込められると、こちらの方が短いので届かない。
 最後にはコタツの中に頭をつっこみ、全身を使って力任せに蹴りを入れる。
 コタツに兄が入ってくると毎回このやり取りが待っている。

 尻や内腿や敏感な部分に足で触れてきては、怒る貴崎を見てニヤニヤと面白がっている。
 貴崎が倒れて以降、ちょっかいをかけてくることもなく大人しくしていたので、すっかりその本質を忘れていた。

 アホ、馬鹿、変態と一通りののしって貴崎の気がすんだころ、マルが「おい……」とすまし顔で、何かの合図を送るようにちらりとこちらに目をやった。
 もちろん兄には犬の言葉など分からない。

 貴崎は「ああ……」と、かしこまって座りなおした。

「あ、あのさ。そういや、大事な話があるんだった」
 貴崎が改まった声で言うと、兄は不審に眉を寄せて起き上がる。
「……なんだよ」 

「マルのことなんだけどさ……。実はマルチーズって犬種じゃなかったんだよねえ――、だからマルっていう呼び方も……」 
「はあ? なんだよそれ」
 くだらないと言わんばかりに、またコタツに潜り込もうとする兄を呼び止める。
「いや、大事な事なんだって!」
 飼い犬が言うには、そうらしい。

「マルチーズだろ……それ、ってかどうでもいいし。じじいのじじいの代から飼ってんだから間違いねえ」
「おかしいだろ。じじいのじじいの代から飼ってる犬なんて。どんだけ長生きなんだよ」
「知るか。知らない間に世代交代してんだろ」
 貴崎が思うに世代交代なんぞはしていない。
 やっぱりこいつはマルチーズはおろか、もはや犬でもないのだろう。
 横目で見ると、いつのまにか気持ち良さそうに涎を垂らして寝ている。

「とにかく……、マルチーズじゃないんだって! それだけ言っとく! じゃないと俺が怒られるからな」
「は? じゃあなんなんだよ。この不細工な犬は」

「だからこれは……、ぱ……、ぱ――」
 パ……?
「ぱぁ?」

「パ、ピヨン……?」
 では無かったような気もするが。まあ、いいか――。

「まじでか……、今流行の!?」
 驚いた顔の兄を見て貴崎は何となく満足がいった。

 とりあえずマルチーズではないという事だけは伝えたから充分だ。
 父はマルのことを犬君と呼ぶし、母もバウちゃんという独自の呼び方をしているので、兄にさえ伝えられたら任務完了。貴崎の役目は終わった。




 チャイムの音――。
 
「あの、すみませ――ん」

 聞き覚えのある声にはっと顔を上げる。
 冬馬だ――。

 はやる気持ちを抑え、少し襖を開けて顔を出すとやっぱり――あの顔がこちらを見ている。
 
「あ、貴崎……。あけましておめでとう。こっちにいるって聞いたから……、もう身体はいいの?」

 ひゃっと声をあげそうになる。
 心待ちにしていたくせに、いざこの事態になるとどうしていいのか分からなくなって鼓動だけが高鳴ってゆく。
 
「よお、冬馬か。上がれよ」
 顔を熱くして押し黙ったままの貴崎の後ろから、兄が座ったまま廊下に顔を覗かせて言った。
 その言い方がなんとも馴れ馴れしくて気に食わない。

 貴崎は素早く部屋に一度引っ込み、コタツの中からマフラーを引っ張り出して廊下に走り出た。

「もう、外に出て大丈夫なの?」
 心配そうに言う冬馬を直視出来ないまま、マフラーをぐるぐる巻いてぶっきら棒に首を縦に振る。

「おい!」と後ろから無愛想な声がかかり、廊下の奥から何かが床を滑ってきた。
 たぐり寄せてみると兄が着ていた羽織だ。とりあえず着ておこうと袖を通す。
 袴姿にぐるぐるマフラー、長い羽織では少し不恰好だが仕方ない。

 外へ出ると寒さで肌が痛い。
 大晦日に降った雪が薄くつもり、日光を浴びてきらきらとろりと消え始めている。
 白くて丸っこい息が、なんだか生きている証拠のような気がして貴崎は嬉しくなった。
 ぎゅうと音をたてて雪の上に草履の跡がつくのも楽しい。
 子供のように夢中になって、まっさらな雪の上ばかりを選んで歩いていたら、いつのまにか冬馬の袖をつかみそうになっている事に気がついて、あっと手を引っ込める。

 優しい瞳と目が合い、頬が焦げる様な気がしてまた顔を伏せる。
 
 どうも生々しくていけない。
 すっきりとした胸板や、長い指、端整な作りの顎ラインから首元を横目でちらちらと盗み見しては息を漏らしそうになる。貴崎の記憶が確かなら、これら全てが貴崎の身体を全霊で愛でていた事があった。
 さらさらとした広い胸板、宝石を扱うような手付きで貴崎の肌に触れてくるあの長い指……その全てが、まさに夢であったと思えるほど、今の二人の距離感は遠くて、どこかよそよそしい。

「何度か見舞いに来たんだけど……貴崎、しんどくて寝てたみたいだから」 

「ああ、うん。知ってる……」

 本当は会う勇気が無くて寝た振りをしていただけだ。
 入院中も合わせると、冬馬は七日間の内に四度見舞いに訪れている。
 内一度は貴崎の元彼女――この時点ではまだ彼女だったか――が一緒に来たので、余計に会う事が出来なかったし、内二度は見舞いに来てから長い時間家族と楽しそうに雑談していると思ったら、兄の自室へ二人で消えていったものだから、気が気でなくて体調にすこぶる悪かった。

 鎮守の森に踏み入ると、そこは手ですくってみたくなるような真新しい雪で満たされていた。
 一年を通し決して優しさを感じさせないこの冷たい静寂が、貴崎にはしっくりとくる。
 
 自分が犯した過ちも悪行も、あの巻き戻った七日間も、この森は全てを知っているに違いない。そして、ただひんやりと静観している。
 偽ることが如何に無意味かを思い知らされる聖域。
 
 一度この世の者ならぬ存在となった貴崎にとって、ここは同じ種のテリトリーのように思える。
 貴崎が淡水魚なら、ここは澄んだ真水が湧きだす深海の底である。
 
 無言のまま森を進んで山道にさしかかると、貴崎の身体は幾度と無くふらついて冬馬を慌てさせた。
 



「わぁ……久しぶりだね」
 清清しい表情で幼馴染が言った。

 息を切らせながら小さな社を振り返ると、やはり石台に鎮座しているはずの狛犬は不在だ。
 顔が崩れたあの狛犬。まだ居間のコタツで涎を垂らして寝ているのだろう。

「貴崎、もう何でも食べれるの? 一応コンビニで買って来たんだけど……何がいいのか分かなくて」
 石階段の一番上に腰を落としながら、冬馬は手にもっていたコンビニの袋を貴崎に差し出した。
 無言で受け取り中をのぞくと――やっぱり。
 去年と同じように棒にささったミルクアイスが入っている。
 極寒の冬、病み上がりの同級生への差し入れとしてはいかがなものか。

 それでも何故か貴崎の中は満たされていく。
 冬馬の隣に座り、銀紙を剥いでアイスを口にふくむ。
 
 雪化粧したジオラマの景色を眺めながら舌を動かしていると、痛いほどの横からの視線を感じたので、キッと隣を睨みつけた。

「お前……今、へんなこと想像してるだろ?」
 
「えっ……! え、何? お、俺、なにも――。へんなことって、そんなの、全然……、ただ――」 
 
 うろたえる冬馬をじっと見つめていると、目のやり場に困ったらしい冬馬は、落ち着かない様子で遠くの景色を眺め始めた。
 そして小さく、あっと声を漏らした。

「ほんとだ……海が見える」

 囁くようなその独り言を聞いて嬉しくなった貴崎が微笑むと、冬馬の視線はたちまちそちらに吸い取られる。

 そう。そうなんだ――。
 
 今日始めて冬馬の中に海が出来た。

 貴崎の笑顔にうっとりと見入っているらしい冬馬は、ほどなくして少し悲しげな表情で前を向いて座りなおした。

「佐藤もずいぶん心配してたよ。貴崎にすごく会いたがってた」 
「ああ……うん」と冴えない返事をしたあと、貴崎は少し間をあけてから思い立ったように言い放った。

「――別れたんだ、昨日」

 もう知っているのかもしれないと疑っていたが、どうやらその予想は外れたようで、成宮は開けたばかりのペットボトルの紅茶を一口も飲まずにまた蓋した。

「う、嘘……ど、どうして?」

 悪戯心に火がつき、意味深げに褐色の瞳を覗き込んでやると、明らかにそれはびくびくと怯えていた。
 
 お前のせいだろ――お前が俺の彼女とキスしてたから――。
 そう言われたらどうしよう――そうひどく怯えている。
 怖くて怖くて震えている。

「別に……大した理由じゃないし」
「な、なに?」
「他に、好きな人が出来たから……」

「他に、好きな、人……?」
 その声は微かに震えていた。
 整った顔立ちがわずかに歪む。

 今まで決して気付く事のなかった幼馴染の小さな反応の一つ一つを、貴崎は敏感に感じ取っていく。

「お前はさ、どうなんだよ。好きな奴とかいないのか? 選び放題なんだろ? 女子。今年は彼女つくれば?」
「いいよ……俺は。部活、忙しいし……」
 嘘付け。毎晩遊んでいるくせにと貴崎は目を細める。
 貴崎のいじわるな問いかけにもめげず、冬馬は心ここにあらずといった暗い面持ちで何かをじっと考え込んでいた。その視線は貴崎を見つめるわけでもなく、遠くに臨む一欠けらの海面を見つめている訳でもない。

 しばらく部活の話と間近に迫った大会の話をした。とは言っても、主に貴崎が気の利かない短い質問を投げかけて、冬馬がぼんやりとしたそれなりの答えを返すというだけの時間であったが、しばらくして会話が途切れた頃、思いつめたように足元を眺めていた冬馬が作ったような明るい笑顔でこちらに向き直った。

「貴崎の……、貴崎の好きな人って誰? もしかして、うちのクラスの子、なのかな……?」
「え……」
「あ、言いたくなかったら無理やり聞くつもりは無いんだけどさ。もし……うちのクラスなら、俺もいろいろと応援してあげられるかなって……」

「うちの、クラスだけど……」
 貴崎が少しばかりしょんぼりとして答えると、冬馬は更に詳しい内容を聞き出そうと必死になっている。
「誰? 貴崎によく話しかけたりする? 席近い?」
 小さく頷くと、大きな澄んだ瞳が慌しく泳ぎクラスメイトを一人一人思い出しているようだ。

「……栗原さん? あ、咲ちゃんとか?」

「女子じゃ、ないんだ……」と消え入る声を震わせると、成宮は心底驚いた顔をしたが、すぐに「もしかして……、男子ってこと?」と優しく言った。

「貴崎と仲いい……男子?」
 駄目だ気付かれると、ぎゅっと目を瞑って膝に顔を伏せると、隣であっと声があがる。

「もしかして、野木!? 駄目だよ! あんな奴! ってか、あいつ付き合ってる奴いるんだ。野木ってシノと付き合ってるんだよ。ああ見えて、実はすっごいドSだし――」
「えっ……、シノってうちのクラスの?」
「そうそう。趣味悪いだろ? ね、貴崎には相応しくないよ、あんな奴」

 野木が――。
 二年で弓道部の副主将を務めると決まった時は、三年部員ですら反対する者はいなかった。もちろん貴崎も適任だと感じた。
 あの野木が、頼れる副主将が――。
 正直ショックは隠せなかったが、今はそんな話ではない。
 
「いや……野木じゃないし」
「違うの? じゃあ……誰だろ。他に貴崎と話しする奴って……」

 考え込む冬馬の横で、貴崎は大きく息を吸い込んだ。

 駄目だ。ちゃんと言うって、決めたんだ――。
 
 この日。この場所。
 絶対に今しかない。
 袴に身を包んだのだって、少しでも冬馬の気を引いて想いを素直に伝えたいと考えたからだ。

「あの……俺の好きな人って、その……同じクラスで、いつも、すぐ近くに、いて……。で、そ、そいつ今も、お、俺の、と、となり、に……」
 なんだかどこかで、よく似た告白を見たことがあるような気がしないでもない。

「え、なに? 隣? 隣の席ってこと? じゃあ、白石君?」
 どうにでもなれと手放した呟きはあまりにも小さすぎて、大切な部分が幼馴染には届かなかったらしい。

 貴崎はむっとして立ち上がる。

「ち、違っ……! もう! なんだよ、冬馬の馬鹿! 今、隣にいるってちゃんと言っただろっ!」

「今、隣……?」

 座ったまま貴崎を仰ぎ見、ぽかんと口をあけている冬馬に向かって貴崎は袂に隠し持っていた物を思い切り投げつけた。
 地面に落ちたそれを、はっとした様子で拾い上げ冬馬は立ち上がる。

「お、御守り……? 駄目だよ、貴崎。御守りなんて投げちゃ……」 
 子供に諭すように優しく言う冬馬に貴崎は口を尖らした。
「それ、ちゃんと渡したからな」

「安産守り……?」

「なんだよお前! 俺の知らないところで浮気ばっかりしやがって! 好き好きって……ずっと一緒にいてくれるって、昔はあんなに言ってたくせに!」

「貴崎……。あの、あの……、もしかし、て……貴崎の、好きな人って……」

 大好きなあの首元が赤く染まっている事に気が付いて、冬馬の言葉を最後まで聞く勇気が出ず、貴崎はその場から逃げるように駆け出した。

「き、貴崎っ! 待って!」

 狛犬が不在の崩れ落ちそうな社まで走って来て、貴崎は涙目で振り向いた。

「なんなんだよ! 男同士でも、けっ結婚出来るって言い出したのは、そっちだろっ! 冬馬の馬鹿! アホ! 
 お前なんか……、冬馬なんか……大嫌いだ!!」


 そう言ってまた―― 二度瞬く。




                          [完] 
 


 
【後書】 皆様、本当に読んでいただいてありがとうございました♪♪
 つ、ついに! これで完結でございま~す\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄) ̄) ̄)))/ヤッター!!
 いや~一年近く(?)の長期連載になってしまったので[完]と打ち込んだときは感慨深いものがありました……(T^T)

 え? 消化不良??
 ラスト一話、R指定だと信じて下さった皆様、待たせた挙句あんまり内容の無い最終話で本当に申し訳ない!!
 一応フォローと致しまして、そんなに長くはありませんがその後の二人の話(実質続編)が連載で少しだけ続きます。
 なので「二度瞬く」としては、貴崎が死んで生き返って想いを伝える、ここまでの展開で終了です。 

 主人公が始まって早々死んじゃう話ってのも面白いな~(←どういう神経してんだ)という思い付きから始まったこの連載ですが、本当に亀更新で想像以上の長期連載になってしまいました。
 更新間隔も一週間だったり、一ヶ月だったり……この点が一番読者様にご迷惑をおかけした点だと思います。
 私の中では育休後の仕事復帰、退職、ずっとやりたかった仕事への転職が何とか成功して、仕事をしながらでも執筆が出来るということが一応証明出来た、意味のある作品でした。
 ただやっぱり、執筆はおろか詳しい内容を考える時間すら上手く作る事が出来ずに、内容としても今までで一番プロットが練れていない物になってしまったようにも思います。
 書き始める前にある程度の内容を決めて書きながら作り込んでいくという執筆方法だったのですが、今回はこの作り込むという作業が殆ど成立しなかった。
 最後の方はもう読者さんからのコメだけを頼りに、やっつけ仕事でとにかくストーリーを進めることでいっぱいいっぱい……(ーー;)
 これではいかん!! と、まあ前回の連載終わった時も思いましたが、今回も更に強く思ったわけです(^^;) 仲良くさせてもらっているブロ友さんの執筆方法なんかを読んで、更に更に驚愕!! うち、あかんやん……、と。

 そういう訳で今後の話ですが、これから、今までの作品「キングの――」と「堕ちます――」の改稿(←なろうサイトのガイドライン新設によってどうしても投稿し直さないといけないので、ついでに書き直し)を挟んで、それと並行で二度瞬くの続編や、まったく新しい新連載のストック作りをゆっくりしていこうと思います。

 まあ、とにかく!! 何はともあれ、ここまで読んで下さった全ての方に感謝です+。:.゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚ァリガトゥ
 そして、隣で寝息を立てている旦那と息子にも(  )')chu♪
 それではまた☆see you again!(*^-')/~☆Bye-Bye♪



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テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

二度瞬く [第二十三話]

『待ち人来たる』


「と、とぉ、ま……? 冬馬?」

 震える声で何度も呼びかけるが、当然返事は無い。
 
 最も恐れていた最悪の成り行きだった。
 目のかすみにも似た、おぼろげな一筋の光がやっと遠くに見えたというのに。

「冬馬――ダメだ! 駄目だ、死んじゃ……こっちへ来ちゃ、駄目だ……」
 動く気配の全く無い体の脇に崩れるようにして寄り添い、しゃくり上げながら何度も何度も涙声で嫌だと叫ぶ。
 
 嗚咽で言葉が繋がらない。
 街灯の薄明かりが涙に浸かる。
 見るからに冷たそうな白い肌に触れると、透けた指先がすくった成宮の内部は、氷水のように刺す冷たさだった。
 今までになかった感触に驚き、貴崎は呼吸をとめて立ち上がる。
 
 痛みすら覚える凍てついた指先を震える唇にあて、暗闇の中に眠るベッドの上の塊を凝視した。

 もう、本当に、時間がないのだ。泣いている暇さえ。
 
 成宮の身体は貴崎がいる世界、こちら側へ来ようとしているのだ。
 
 ガラス一枚隔てて向こうでは深々と雪が降り積もる。
 余り物のような街灯の明かりと、遠くから万物に注がれる鐘の音だけが静かに忍び入る冷え切った部屋の中で、それは刻々と幼馴染の新鮮な身体を侵食していた。

 闇を照らす一筋の光はさらに遠退いた。――が、見失った訳ではない。

 もうこの方法しか残されていない。
 
 飼い犬が語った嘘のような宝探しの話。
 その宝は死んだ者を甦らせることができるという。
 上手く手に入れば自分自身が生き返られると浮かれていたが、宝探しは突然悲劇的で不可避なものになってしまった。
 宝はなんとしてでも手に入れなければならない。
 もちろん使い道はただ一つ。目の前の幼馴染だ。

 貴崎はしゃがみ込み、擦れた声でゆっくりと語りかけた。

「とおま……俺、あの場所に、行きたい。どうしても、あそこに……だから――たのむ。連れて行っ……」
 
 二人だけの秘密の場所へ――。
 
 最後まで繋がらない言葉をぐっと飲み込み、祈るように目を強く閉じる。




「交通安全の御守りと――あと、おみくじ、いっ……」

 空耳に似た男の声と、一瞬だが確かに視界にとらえた千円札を握り締めた手。
 それらは瞬く間もなく、地面をあおる激しい横殴りの猛吹雪にかき消されてしまった。

 貴崎は突然のことに、はっとして一歩身を引いた。

 実家の神社で御守りを売る元旦の夢は、成宮がよく見る夢だ。
 どうやら心底貴崎の袴姿が好きらしい。

 ただし今回ばかりは、いつもと様子が違う。

 軒下から見える範囲に人の群れはなく、本殿すら見通せないほどのひどい風雪が轟々と小さな社務所を揺さぶっている。
 隣にいるはずの兄や、奥で新聞を読んでいる父の姿もない。
 極寒のへき地に建つ小屋に一人取り残されたように、袴姿の貴崎は立ちつくした。

 その上、この夢は極端に色素が少ない。

 兄が座っていた緑の回転椅子も、軒下に並べられ雪が降り積もる御守りの数々も、黒と白の濃淡で構成され、一見モノクロ写真の世界だが、足元に置かれた小型のハロゲンヒーターだけが、せめてもという様に貴崎の袴の裾を赤く照らしている。

 貴崎の今までの経験からすると、夢の世界が色褪せたり急に冷え込むのは夢が終わる兆候だ。
 とりわけ眠っている成宮が更に深い眠りに落ちようとすると、何かに侵食されるようにこうやって夢の世界が崩れ始める。
 もっと夢の終わりに近づくと、空が割れて、物が溶ける。
 いや、もう空は割れ始めているのかもしれない。 
 とにかく時間がないと、貴崎は社務所を飛び出した。

 袖で視界をかばいながら、鎮守の森と思しきおぼろげな陰影と、方角だけをたよりに、強風と粉雪が渦巻き吹きつける荒天の中をゆっくりと進んでいく。

 鎮守の森まで辿り着くと、悪天候はいくぶんか治まった。
 モノトーンの視界でもここはたいして代わり映えしない。
 終わり行く世界に動じることなく、黒い針のように鋭く天を貫いている木立は毅然と静寂を保っていて、それがこの場所が持つ本来の力なのだと思わせた。

 雪でぬかるんだ山道を、息を切らしながら駆け上がる。時々泥土に草履を取られては前のめりに両手をつき、泥と雪と汗とで全身をぐじょぐじょにして、やっとの思いで小高い裏山の頂上に出た。
 山頂の風はさすがに凄まじい。雪は少し穏やかになっただろうか。

 貴崎は迷わず社の横を抜け、急勾配の石階段を見下ろせる場所まで歩いて行った。

 石階段の脇に立ち並ぶ木々を一本一本仰ぎ見る。
 確かこの辺りだったはずだ。成宮の身長からするともう少し上か――。

 とうに感覚がなくなった足で、くるぶしまで降り積もった雪に踏み入ると、さらに足袋と草履がぐっしょりと重たくなる。
 雪を突き刺している尖った針葉樹の葉を、痛む指先で掻き分ける。

 あの時は横目でしか見ていなかったが、確か割りと太い枝だったように思う。
 しかしどの枝も見覚えがあるようで、全く無い。結局どの木もどの枝も全て同じように見えるのだ。

 やはりそう簡単にはいかないのかと、貴崎は顔を歪め、喉の奥まで込み上げてきたものを下唇を強く噛んで押しとどめた。
 
 駄目だ。諦める訳にはいかない――。
 自身の命であれば、いくらでも諦めがついたであろうが。 
 
 一歩奥に踏み込んだ所で、足の裏で鳴った鈍い音と感触に目を向けた。
 雪に埋もれていた枯れ枝を踏んだらしい。

 貴崎ははっとしてその場にしゃがみ込んだ。
 赤くなった指で土で汚れた雪を掻き分ける。

「あっ!」
 小さく声をあげて動きを速める。

 はあはあと白い息を吐きながら、雪の中から現れた紙切れの端を見つめた。
 息を殺し、震える手で埋まった紙切れの雪を払い、枝にくくり付けられた硬い結び目を解く。

 縦に四つ折りされた、二枚重ねの短冊のような紙。
 外側の一枚は、風化した上に雪に濡れたせいだろう、紙が半分溶けかかっているし字が消えていて殆ど読めない。唯一「大吉」と読める大きな文字だけが滲んでいた。
 これは成宮のだ――。

 あの日――元旦の、あの日。
 成宮は確かに、ここにくくり付けたはずだ。
 二人分のおみくじを――。

 貴崎の最後の切り札。
 それは現実では笑い話でしかないような馬鹿げた思いつきだった。
 宝があるのなら、宝の場所を示す地図が必ずどこかにあるはずだ、と。
 地図でなくてもいい、少なくとも道を示すヒントのような物がどこかにあって然るべきだ。

 その然るべきヒントのような物を、貴崎は飼い犬の暴言の中から見出した。
 詳しく考えれば考えるほど現実味がなく、阿呆らしいひらめきだと思える。だから貴崎は意識して考えないようにした。
 後悔するなら、それを確認してからにする。
 なにしろその切り札は、現実世界でも、成宮の夢の中でも、どちらの世界にも確実に存在していた物なのだ。

 二枚重ねにされていたおかげで、内側のもう一枚には辛うじて読めそうな字が多く滲む。
 貴崎は息を震わせ、紙を鼻先に持ち上げ食い入るように睨んだ。

『大凶――――この御籤にあたる人は、信心薄く、故に身を滅ぼす者なり。
待ち人、来ず。恋愛、成就せず。探し物、身近な場所にあるも見つからず。賭け事、惨敗もしくは勝負がつかず。健康、大病無しも生命の危機あり。旅立ち、幼き頃より親しんだ場所を忘れるべからず。
この御籤に書かれしこと心に深くとめ、日々信心忘れることなく慎みやかな生活をおくるべし。護身符を身につけ信じ、闇に飛び込む改心あれば、あくる年月には大凶転じて吉となす』

 幼き頃より親しんだ場所――? 護身符――? 飛び込む――?
 腑に落ちない気分で顔を上げた時だった。

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

 貴崎はぎょっとして、音がした方角に振り返った。
 闇を震わす唸り。
 
 除夜の鐘だ。

 いつの間にか突風は止み、雪は空から真っ直ぐ地面に落ちて降り積もる。その雪も、あんなに積もっていたはずが、所々土がのぞくほど極端に量が減っている。

 今、繋がったのだと貴崎は確信した。

 もうここは成宮の夢の中では無い。
 現実世界のここ――貴崎神社の境内の中、なのだ。

 夢は時折、こうやって現実世界に繋がる。
 マルが言うにはとてつもない確立らしいが、成宮は貴崎の望みなら何だって聞き入れてしまう。たとえ自分の命のともし火が消える間際でもだ。

 そしてこの境内のどこかには、マルが言ったお宝が眠っている。

 いつのまにか泥にまみれた袴姿から、死んだ時の制服姿にかわっていた。

 貴崎は恐々と首を伸ばし石階段の下の様子を伺う。あの不細工犬は、境内の回りにはこの世の者ではないおぞましい警備の輩がうじゃうじゃしているとも言っていた。 
 
 厳戒態勢の境内に無事侵入成功。
 今からが宝探しの本番だと辺りを見回し、貴崎はふと目に留まった社に近づく。
 おみくじに書かれた数少ないキーワードの中でも、幼き頃より親しんだ場所というのは簡単だ。
 この社は、かつて貴崎と成宮の秘密基地であった。
 ただ成宮の夢の中では、どこかの如何わしいホテルの一室に塗り替えられていたことがある。成宮の部屋に置き換えられ、幼馴染と人には言えない関係になったこともある。

 案外ここが、宝の在り処だったりして――。
 
 へへんと半笑いで格子戸を開けると、そこには――何もなかった。

 板張りの小さな部屋も、ラブホテルの一室も、成宮の部屋も、何も無い――ただただ、闇。深淵。

 目を凝らせば黒々としたヘドロのようなものが沸き立つように渦巻いている。
 本能的に嫌悪を感じた貴崎は、気持ち悪くなって口を押さえ後ずさった。

 その時、貴崎の隣で何かが不意に動き出した。

 びくりと飛び跳ねそちらを見ると、それは角が取れた古い石台に鎮座しているはずの狛犬だ。
 石の彫物であるはずの狛犬が、ふるふると全身を揺すって、降り積もった粉雪を舞い上がらせる。

「マ、マル……」

 柔らかそうな小さい舌で鼻に積もったわた雪をぺろりと舐め上げる。
 この狛犬、風化で顔が崩れているのだとばかり思っていたが。

「おい、もっと驚けよ」と狛犬――マルは、不機嫌そうに言った。
 
 今さら声をあげて驚くほどの事は何もない。こちらは今からひと一人生き返らせようと試みているのだ。

「やっぱり来たか……お前の悪運は大したものやな」
 
「マル、これ――これ、なんだよ。お宝って、この中か!?」
 我に返った貴崎が社の中を指差し問いただすと、マルはニヤニヤと笑いながら元通り狛犬の形に座りなおした。

「宝か? あるやろ、お前のアホ面の目の前に」
「無いって。何にも無いんだって。見てみろよこれ! 気持ちわりぃ……」
 おえっと吐きそうな顔を作り、一歩下がって社の中を敬遠する。

「いやだから、それやん。お宝」
「はあ?」と不細工な狛犬を振り返る。

「お前、お宝お宝って、なんぞ金ぴかの聖杯とか光り輝く薬とか想像しとったんやろ? まあ阿呆を責めるつもりは無いけどな。それが宝や、正真正銘のな」 

「こ、れ……?」
 もう一度社の中をぐるりと見回す。
 
 マルには馬鹿にされたが、正直、人を生き返らせるというからには、飲み薬のようなお宝を想像していた。少なくとも、形があって手に持って使用できるくらいの物だろうと思っていた。
 ところが目の前にある宝物は、形が無い。
 手に持てそうもないし、そもそも物では無いのだから、宝物という表現がおかしいのではないか。

「これ……何? どうやって食うの?」
「食う奴があるか! 阿呆んだら」

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

 一人と一匹で遠い鐘の音を振り返る。

「これはな……、時間のひずみや」
 マルは瞼を少し下げ、落ち着いた声で話し始めた。

「時間いうのはな、毎年ちょっとずつズレが生じる。うるう年っちゅうのをお前も知ってるやろ、四年にいっぺん日付増やして暦を補正するいうあれな。あんなもんは見せ掛けで人間の自己満足やけど、時間いうのは実際不安定なもんで、ホンマに毎年ずれにずれとるんや。
 それをな、今一生懸命補正しとる。誰がしとるとかは、聞くな。知らんほうがお前のためや。」

 わかった様な顔をして話に耳を傾けていたが、内心さっぱり分からない。途中からまったく言葉が頭に響かず、マルの顔面を見つめて不細工に見える理由を詳しく考えてみたりする。

「おい、真剣な顔すんな、笑てまう。
要するにな、お前の目の前にあるそれは、年に一回の時間の補正現場っちゅう訳や。ごおぉぅぅんっとな、金づちで叩くみたいにズレた部分を叩くんや、世界中で同時にな。時間を触るには、いつもかけてる封印切ってロックを外さなあかん。年に一回開錠されるそのロック部分が、ここって訳やな」

「時間のズレを? 叩いて補正すんの……? 訳わかんね。現実味ねえし。
だいたいどうして、これがお宝なんだよ」

「まあ、最後まで聞けや。封印解けてロックが外れるっちゅうことは、時間に直接触れられる言うことや。今この中の時間がどうなってるか分かるか? ごおぅうんと叩かれて、たいそう目回してフラフラや。時間が振動するいうことは、縦にも横にも揺れるわけ。横揺れってのが場所の変化やとすると、縦揺れは何の変化かわかるか? 祐?」

 ちょうどマルの丸鼻に粉雪が降り積もるのを眺めていたので、貴崎は驚いて、授業中にあてられた時と同じように、考える振りをして黙り込んだ。

「縦揺れはな、時間の変化や」と犬はニヤついた。

「時間? それって、タイムスリップ出来るってこと? 過去に……返れる?」
「まあ、ええ風に言うとな。そう簡単な事やない。揺れてる時間の中に入ったら、確かに過去に返れることもある。未来に行ってまう事もあるけどな。下手したら時空が変わってひねり潰されてまう」

「つまり……上手くいけば、過去に返ってやり直せるってこと……?」

 マルはふふと不気味な笑い方をして「未来を変えてしまうことになるけどな」と言った。
「今までに、成功した奴って……いるのか?」

「おお、いるね。それも世紀を揺るがすような極悪人やった。世界を闇に落とす力もあった。まあそいつは生き返って、如何に世の中が下らんかを知って、人間の姿ををやめてしもうたけどな。今世界が平和なんはそいつが生き返ってしもうたせいや――と言うてもお前は信じんか……」

 もう一度社の中に目をやる。物音一つたてず無音の闇は渦巻く。
 
 ごおうぅぅぅんぅんん――――。

「お前、何で年越す時に除夜の鐘をつくか分かるか? 人間達は真似してるんや。神様いうて崇め奉っている御方達が、時間のずれを補正してる仕草を真似してるって訳やなあ。同時に時間が振動するんを、人々にさとられんようにする効果もあるっちゅう話や。なかなか奥が深い話やろう? これでまた一つ偉なったやんけ、良かったな」

 貴崎は闇を見据えたまま、開け放った格子戸から一二歩後ろへ引いた。
 それから握り締めていたおみくじの文面をもう一度睨みつけた。

『護身符を身につけ信じ、闇に飛び込む改心あれば――』とある。

 問題は、この護身符という部分だ。
 護身符――つまりは、御守りか。

 今から社務所に取りに戻る時間はない。
 ここは運で乗り切るしかないかと思い始めた時にはっとした。

 慌てて制服のポケットをまさぐる。

「あった!」

 赤いちりめんの生地に、錦糸の文字。安産守りと刺繍されている。
 裏には実家の神社名。
 
 マルは丸い目を細める。
「ほお、なかなか良い思案やなあ。安産守りなんか持ち腐って。安らかにもう一度産まれ返るってか? 誰から聞いた、そんな裏技。そう知ってる奴はおらんと思うてたけど」
 
「さあ、忘れた」と答え、手の中に御守りをぎゅっと握り込む。
 これを貴崎に託した女は、貴崎よりも一足先に逝ってしまった。
 嘘か真か妊娠していたと語り、最後に好きな人に会うことも出来ず、それでも幸せそうな美しい顔をして去って行った。
 名前は――忘れた。
 ユキ。
 ぼんやりとそんな名前がよぎるから、そうなのかもしれない。
 どんな漢字を書くのだろうと、風花が舞う夜空を見上げる。
    
 この安産守りは、成宮に投げつけてやろうと腹立たしくポケットにしまいこんでいた物だ。結局出しそびれて、挙句すっかり忘れていた。

 ごおうぅぅぅんぅんん――――。
 また鐘が鳴る。

 マルは前足を立てて座り直した。

「行くなら、行けよ。次の鐘が最後や。鐘が鳴り終わったら、ここもまた封印がかかる」

 おみくじをポケットに突っ込み、安産守りを汗ばんだ手にしっかりと握りしめる。
 数歩下がって社の中を睨みつける。

「ええんか? 未来を変えるんは重罪や。万が一にもお前が生き返ることで、死なんでいいはず人間が沢山死ぬかもしれんぞ」

 たとえ自分が生き返ったせいで人類が滅亡するとしても、俺は同じ事をしてやると大口を叩くと、マルはがははと天を仰いで「この極悪人め」と笑った。

 自分のためにではなく、幼馴染を生かせるために、生き返りたい。
 そのためなら何でもすると決めたのだ。

「闇に呑み込まれんなよ、気だけはしっかり持て。要は運や!」

 一度両目を閉じ、息を大きく吸い込んで集中する。

「おお、言い忘れとった。万が一上手く行って生き返ったら、ちゃんとあの番組録画してくれ。あの年越しの、笑ったらあかんやつな」




 ごおうぅぅぅんぅんん――――。
 
 鈍い反響に背中を押されて、社の中に飛び込む。
 馬鹿めと、暗闇がニヤリと笑った気がした。

 下に落ちていくのかと思っていたら、そうではない。
 生暖かな水中に呑まれているような、ぷかぷかと浮いているような、どこか懐かしい感触さえある。

 最初に聞こえたのは知らない女の涙声だった。

「ごめんなさいね」
 そう言ったように聞こえたが、すぐに耳鳴りのように消えた。

 それからも沢山の声や雑音が、貴崎の注意を引こうと耳元で鳴る。

 踏み切りが閉まる音に電車の音。
 砂利の音。
 犬の鳴き声。

「パパ……これ、天使? 降って来たの?」

「育てるって! あなた達、どういう事かわかって言ってるの!?」

「どうせ助かりませんよ。好きにすればいい」

「祐、えらいわねぇ。自分で靴下はけたのね」

「これ、秀直。あんな神聖な場所にカルピスを入れてはいけない。よいか? あのカルピスはだな、父さんがお歳暮でもらって大切に――」

「祐、早くしないと遅れるよ!?」

「はい、祐の負けぇ! 祐が罰ゲームな。……はあ? ズルしたって証拠あんのかよ!」

 どれも意味深げであり、他愛ない会話のようでもある。
 大半が聞き覚えがある家族の声。たまに知らない声が混じる。

「結婚? うぅん……どうだろう。男同士でも出来るのかなあ」
 時折軽やかな幼馴染の声を捉えては、心が乱れる。
 目を開ければ愛しい顔に会えるような気がして、うずうずするが、何かとても嫌な予感がして目はずっと瞑ったままだった。

 荒波の大海に浮かぶようだ。

「あれ、貴崎。帰んの?」
「野木、放っとけよ、そんな奴。調子乗って無視してる奴、気遣う必要ねえって」

 随分最近の声だ。

 良い思い出と悪い思い出、後者の方が少し多かった気がする。
 
「ほんとうぜえわ、貴崎。
 佐藤も何でこんな奴と付き合ってんだよ。結局あいつも顔だけで、男見る目ねえな。バカでやんの」
  
 久しぶりにあの6秒間を思い出した。
 校舎裏に隠れて抱き合い、キスする二人。
 今では全てを許せると思う。

「ねえ、君一人?」

 はっとして耳を澄ませる。

「もし良ければ、僕と一緒に来ないかい? 向こうの道に車を停めてあるんだ。
 制服を着ていても、大人と二人で車に乗っていれば警察もごまかせるだろ?」
 
 あの日。

「貴崎こそ、どうしたんだよ。急に帰ったっていうから、俺……」

 息を切らした成宮の声。
 鼓動が高鳴る。

「僕は貴崎君のお父さんの古い知り合いでね。さっき偶然出会って、久しぶりに今から食事でもと思ってるんだ」

「午後の授業だって、出席日数ぎりぎりだろ?」

 また成宮の声。
 急に息苦しくなる。

「これ、今朝撮った写メ。昨日貴崎が言ってた課題、やっぱり掲示板に張り出されてたよ」

 あの日、貴崎を助けてくれようとした。
 救ってくれようとした。
 こんな、最低な自分を。 

「でも……、貴崎」

 生きていた頃に聞いた、最後の幼馴染の声。
 こんな悲しい、寂しそうな声が……。  

 涙がこぼれそうになって、不意に目を開く。

「お前さあ。何でいつも俺の保護者気取りなわけ?
 そういうとこがうざくて昔から嫌いなんだよ! 頼むから、俺の事は放っといてくれ」
  
 貴崎は驚いた。
 たった今、無意識に自分の口から発せられた暴言。
 
 言ってしまった後、口をあんぐり開けたまま、瞳だけをきょろきょろと動かす。
 目の前にあるのは、辛そうな成宮の顔。
 そして町の喧騒と空気の匂い。
 車の音に、踏み切りの音、遠くから頭に直接響く無数の靴音、話し声。鼻を突く微かな排気ガスの匂いと煙草の香り。

「行こうか」
 背後から響く男の声に貴崎は固まった。

 駄目だ、消えてしまう――。
 またあの暗闇の中に――。

 愛しい褐色の瞳を見つめたまま、貴崎は―― 二度、瞬いた。


 

 視界が途切れたのはその直後。
 
 パソコンを立ち上げた時の様な、小さくても耳障りな機械音。何かの設定を読み込むかのように、かたかたと鳴り、視界が暗転した。
 
 そして白一色。
 目を開けていられない程の眩しい世界が明けた。

 薄目で確認すると、どうやら貴崎は濃霧に包まれている。
 天国――?
 
 思うやいなや、足元で激しく吠える犬の鳴き声。
 
 首輪をした小型犬が貴崎の足元で威嚇丸出しで吠え騒いでいる。
 毛は白くて長い。モップのような犬。どう見てもマルではない。

 「コラ!」
 突然間近から聞こえた女の声に制されて、犬は引きずられるようにして遠ざかって行った。
 霧の中に現れた犬の飼い主らしい初老の女は、そのまま背を向けすぐに見えなくなる。
  
 周りの景色をざっと再確認した後、振り返ってみると――見慣れた鳥居が背後にそびえ立っていた。
 鳥居が囲む四角の中からは、あの世へ続くかと思えるほど天高く立ち上る石階段が続く。
 
 そこは毎朝登校時間に成宮と待ち合わせる、馴染みの場所だった。
 
 母親に手を引かれて通り過ぎようとしていた園児が不思議そうに貴崎を見上げる。
 
 懐かしい。
 朝露を含んだ土の匂い。 
 
 このシチュエーションなら覚えている。
 貴崎が死んで、初めて迎えた朝。
 自分が死んでいると気がついた、七日間の始まりの日だった。
 
 もしかしてと淡い期待を抱きながら、道の先を一心に見つめる。
 
 貴崎の予想が正しければ――。
 
 「あ」と小さく声をあげる。

 やっぱり――。

 向こうから、紛れも無い、あの褐色の瞳が歩いてきたのだ。
 
 成宮は足元を見詰めながら、冴えない表情でこちらへ歩いて来る。
 
 貴崎は呼吸も瞬きも忘れて、幼馴染の姿に見入った。
 頭と胸の奥に断続的な鈍痛と、ひどい金切り音が鳴り響く。
 
 もしも……もしも、あの時。貴崎が二度瞬いたことで、時の流れが変わっていたら――。
 未来が書き換えられていたら――。
 
 間違いなく、貴崎の声は成宮に届くはずだ。

 鳥居に差し掛かる手前で一度足を止めて顔を上げた成宮は、貴崎と目を合わせずに、また足元に視線を落とした。

 不安が募る。
 あの時と同じように、成宮には貴崎が見えていないのではないか。
 
「と、とぉま……?」
 意を決して発した声は、自分でも聞き取れないほどの弱弱しいものだった。
 
 すると成宮は――貴崎の目の前を通り過ぎたのだ。

 まるで、そこに何もないかのように。

 


 そう簡単な事ではない――マルの言葉が反響する。
 
 やはり未来は書き換えられなかった。
 
 貴崎もまた、生き返りはしなかった。

 全てが終わったと思った、次の瞬間。
 足音が止まる。

 数歩離れた場所で、パーマがかった焦げ茶色のふわふわとした髪の毛が揺れて、こちらを振り返ったのだ。
 貴崎は目を見開いた。

「なんだよ……貴崎。昨日は放っとけって言ってたくせにさ。俺のこと、嫌いなんだろ? そんな顔されるとさあ……放っておけなく、なるだろ……」

 むっとした褐色の瞳は、確かに貴崎を見つめている。

「とおまっ……。お、俺のこと……、見えるのか……?」

「……貴崎?」
 眉をひそめて不審そうに成宮は首を傾げる。

 幼馴染の大きな瞳に自分自身の姿が映っていると気がついて、貴崎は力いっぱい成宮に抱きついた。



 
「貴崎……? あ、あのさ、俺別にそんな泣かせようと思って言ったんじゃ……ただ、貴崎が昨日あんな風に言ったから――、ごめん、ホントに。俺が悪かったよ、ねえ……貴崎? だからそんなに」

 いきなり同じ制服の高校生に抱きつかれ、その上えんえんと声をあげて泣かれた成宮は大いに慌てた。
 立ち止まる人目から逃れ、鳥居をくぐって階段脇の木の裏へ貴崎を引っ張って行き、うろたえた様子で何とか貴崎をなだめようと必死に言葉を取り繕う。

「ねえ、本当にごめん! もう絶対あんなキツイ言い方しないからさ、ね?」

 成宮の胸元をぐちゃぐちゃに濡らしながら、激しく首を横に振り、そんなんじゃないと子供のように泣き喚いては成宮を困らせる。

「違う? 違うの……? じゃあ、どうして泣いてるの? 貴崎……?」

 優しい声に身体が粟立つ。また涙が溢れ出す。 
 何度もうわ言のように名前を呼んでは、頬をぎゅうぎゅうと摺り寄せて力いっぱいにしがみ付く。
 
 何を聞いても泣くばかりの貴崎に、成宮は諦めたようにふうと小さく息を吐いた。

「また怖い夢でも、見たのかな……?」

 あまりに優しい声が耳元で響いたので、意識が遠退き始めた。
 温かい大きな手が、髪を撫でる。

 そうだ――なんて、怖い――怖い夢を見ていたのだろう――。

 シャツ越しに触れる成宮の肌は、火傷しそうなほど熱い。
 耳を澄ませば、とくんとくんと軽やかな音が聞こえる。 
 
 静まっていく呼吸、緩み始める鼓動。
 水を吸い込んだように全身が重く、それに首がたいそう痛い。

 立っていることが出来ずに全身から力を抜くと、ふわりと受け止められる。

「貴崎? 貴崎……っ!」
 慌てている幼馴染の声を微笑ましく思いながら、久しく訪れた睡魔に身を委ねる。

 掌からするりと、ちりめん生地がすべり落ちるのを感じた。
 頬を包む熱い肌にのぼせるように目を閉じる。

 少し先延ばしになりそうだとくすりと笑った。
 それでも、もう一度息を吹き返した幽霊は、いつか大好きな人の身体に溶けて、熱い血潮になることを夢見ている。 





【後書】(w_-; ウゥ・・毎度おなじみ寝落ちでござ~いm(*- -*)mス・スイマセーン
な、なんかこんな展開で怒られたらどうしよう……(ーー;)

あ! C様、ありがとうございます! 自分でも、いやびっくり!! 出来るだけ早く前回分修正致します⊂((〃/⊥\〃))⊃ウキャ♪ 改めてコメレスしますね~♪♪
今回は今までで最長になってしまいましたが、もう話を割る力もない……。゚(゚*ω⊂ グスン
読み直し一回なので、もしかしたら明日手直し入れるかもしれません。(*_ _)人ゴメンナサイ
ではでは(*´ω`)o。゚:.・+GOOD NIGHT+・.:゚。o(´ω`*)

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

二度瞬く [第二十二話]

注意:今回はユウコ視点になりますのでご注意下さい。


 『祐子』


 ごめんなさいね――祐。

 結局また、あの時と同じ言葉しかかけてやることが出来ない。
 
 走っていく小さな背中が見えなくなっても、ユウコはただじっと降り注ぐ雪を見つめていた。
 トンネル全体を上から揺さぶっていた電車の轟音は遠くなり、また出所のわからない微かな水音だけが反響する。

「今、なんと叫んだんだい?」
 背後からする冷たい男の声に、臨むところだと顎を上げてゆっくりと振り返る。

「何が? さあ、もういいでしょう? あの子行ったわ。さっさと上に報告の電話を入れたらどう?」

 軽蔑の眼差しで言うと、男は納得出来ない様子でポケットから携帯を取り出す。

「彼は、本当に行くだろうか?」 
「あら、どうせ七日過ぎれば消えて無くなるだけだって鼻で笑ってたじゃないのよ。あの自信はどこへいったの?」
 ユウコが嘲笑うと、男は心外だと眉を潜めて眼鏡の黒縁を指で押し上げた。
「ユウコ、君は本当に……昔からそうだ。私はあの子の、本当の幸せを願っているだけなんだよ。なぜ分からないのかなあ。露のように消えて無くなるよりも、正しい段階を踏んで新たに生まれ変わる方がずっとあの子の為になるじゃないか」

「そうかしらね」とユウコは吐き捨て、ポケットから煙草ケースを取り出した。

 今だったら――。
 今のユウコなら、ありもしない来世に賭けるよりも、目の前にある、この世の奇跡にすがりつく。
 喉まで迫りあがった言葉を飲下した。

 来世なんて存在しない、生まれ変わりなど――。あればいいよねと言える程度だ。
 人が死んでどこへ行くのか、そんな事は誰にも分からない。もちろんユウコにも、目の前の陰湿な目を持った男にも、だ。
 まさに神のみぞ知る。いや、ユウコに言わせりゃ神だって本当に知っているのか怪しいものだ。

 解明されているのは、人が生きている世界と幽霊の世界があるという事だけ。なしにしろ、死んだはずのユウコや目の前の男が、事実ここに存在しているのだから。
 生きている者達が『成仏』と呼ぶ段階。門をくぐり、最後の検問を通過した後、最終的な魂の行き先は未だに未解明。
 現世に人として再び生を受けるのか、閻魔に裁かれ地獄におちるのか、それとも宇宙の暗闇に塵となって消え失せるのか。
 まるで神の下に仕えて数多の世界を知るかのごとく、いかにもそれらしい説明を少年にしてはみたものの、それがわかりゃあ苦労はしねえよと内心馬鹿らしくて、噴出しそうになるのをユウコは必死で抑えるのに苦労した。

 こんなにもくだらない話はないとユウコなんかは思うのだが、不思議なことに目の前の男などは、自分が神に選ばれた者だと頑なに信じ、来世だの生まれ変わりだのと根拠のない夢物語を真剣に信じて疑わない。
 この男だけではない。ユウコと同じ世界で働く者の多くが、男と同じようなふざけた考えを持ち、まるで自分達が神の下で森羅万象の流れを全て把握し、支配しているかのような錯覚に陥っている。
 死亡のシステム化や死者の管理、未来予知の推進など、そんなことは幽霊の退屈しのぎにすぎないとユウコは思っている。 
 
 作りの悪い宗教団体とどこが違うのか。
 死んで幽霊になっただけで、生きている人間より偉くなる訳がない。少し考えればわかりそうなものだが、そうでないところがユウコには不思議で不思議で仕方がない。

 どうして馬鹿は死んでも治らないのだろうと嘆きたくなる。
 それでもユウコは門をくぐらずにいる。
 
「検問所の通過履歴を確認してからにしよう。上に報告するのはそれからでも遅くはない」

「やだ何それ! 検問だって警備に人回してんだから、履歴の更新なんて今晩は遅れるわよ!? とにかく何でもいいから、私がちゃんと協力的に職務を遂行したって事だけは先に報告して! あの子をちゃんと門のある所まで導いたじゃない。門の一歩手前であの子の気が変わって引き返しても、私には関係ないわよ! 七日目の朝に塵になって消えようが、それは本人の問題じゃない! そんなことまで案内人のせいにされたんじゃ、たまったもんじゃないわ! 認めたくはないけど、あんたの報告に私の運命かかってんだからね! 分かってる!?」 

「関係ない? 随分と冷たいんだね――自分の子なのに――」

 細いヒールがぎりりとアスファルトを踏みにじる。
 振り上げそうになる凍えた足首を、ユウコは必死で堪えた。

「やっぱり――知ってたのね」

「ああ。目元がね、君にそっくりだよ。気が強そうで、それでいて人を寄付けない清らかさっていうのかなあ。きっと笑ったら可愛いだろうね、昔の君みたいに。あの薄い唇は誰に似たんだろう……、残念ながら俺ではないようだ」

「あら、当然じゃない。祐があなたの子なわけないでしょ? 私達、結婚しても別の部屋で寝てたんだから。笑わせないでよ。私達の子だって、本気で思ってたの?」
 ユウコが笑うと、男も作り笑いを浮かべた。

「そうだね、確かにあの子が俺の子であるはずはがない。俺の子なら、もう少し記憶力がいいはずだ。
少なくとも――自分を殺した男の顔くらいは、もう少し覚えていてくれてもいい。それとも、恋は盲目ってやつなのかなあ、あの同級生の子にかなり執着しているようだった」

 男は面白そうに言うと、眼鏡をはずして胸の内ポケットへしまい、艶よくオールバックにしていた髪に指をさし込み前髪を下ろした。
 冷たく鋭い、死神のような目。

「知ってて……私の子だって知ってて、殺したの?」
 僅かに声が震える。

「いや、信じてもらおうとは思わないが、知らなかった。君の面影に惹かれたのは確かだけどね。不可抗力っていうのかな、急にどうしても欲しくなってしまったんだ。あの時は大きな仕事の後で、自分では気が付かないうちに動揺していたんだろうね。衝動的に、どうしても自分の手元に置いておきたくなったんだよ、あの子をね」

 そして、この男は――祐を殺した。

 大切なわが子を、と嘆く資格はユウコにはない。

 十六年前の、あの日と同じように。




 あの子の最初の不幸は、自分なんかのもとへ生まれてきてしまったこと。
 もう一つの不幸は、父親として一緒に暮らした男と、実際は血が繋がっていなかったこと。
 そしてその男に自殺願望があったこと。

 あの日――、ユウコが酒に酔って帰ってくると、祐は息をしていなかった。
 当時引きこもりだった男を二階の部屋から引っ張り出し問いただしても、男はわからないよと呟くだけでろくに喋りもしない。もしかすると男の仕業かもしれないという思考は、何故かあの時は全く持ち合わせていなかった。赤ん坊を殺せるほどの勇気がこの男にあるはずがないと、見下していたせいもある。

 一歳の誕生日もまだなのに。
 動かない乳児の脇で泣き崩れるユウコに、男は言った。

 「ユウコ、もう全て終わりだよ。みんなで一緒に楽になろう」
 
 弱さだと思う。
 現実から逃げようとした弱さ。
 わが子を最後まで信じてやれなかった弱さ。

 上着も羽織らずスリッパのまま家を出て、あの長い石階段を上った。
 酔いがまわっていたこともあり、手際よく事は進んだ。
 小さな社の前で、一家心中。

 三人一緒に――。そう思っていたから、幽霊として目覚め、一人であの門をくぐれと言われた時には驚いた。
 あの子は何故か、死んではいなかったのだ。
 一緒に連れて行くはずの我が子を置いていくわけには行かない。
 そして結局、幽霊の世界とやらに魅了された元夫――男と共に、開いた門に背を向けた。 
 
 今でも瞼を閉じると、息を引き取る直前に聞いた犬の鳴き声が遠くにこだまするような気がする。
 



「あの女は? 祐を手にかける前、最初にあなたが殺した女。あの女も不可抗力で殺したの?」
「いやあれは計画のうちだよ」と男は表情一つ変えずに答えた。

「君も噂くらいは聞いているだろ? 人類の未来を示す、予知に関する重要書類ってのをね」
「予知に関する重要書類? ああ、あの役所のどでかい機械が打ち出す計算結果のこと? 冷暖房完備でずいぶんと待遇いいらしいじゃない、あのコンピューター」

 男は冷ややかに目を細めた。
「ユウコ、君もこの組織で働く以上はそういう言動は慎んだほうがいい。あれは我々が唯一、神と通ずることが出来る装置だ。
 その予知結果によると、私が殺したあの女。彼女が運んでいた凍結胚盤胞のサンプルは異質なものでね。将来的に、生命の謎を解く大発見につながる」

「いいことじゃない。ノーベル賞ものだわ」

「わかってないな、君は。ノーベル賞だとか、そんなちっぽけなレベルではないんだよ。
その発見は、予定されていない多くの命を無闇に生み出すだけではなく、人類にとって大きな脅威にもなりえるんだ。兵器として利用される危険性だってある。そうなれば、数え切れない命が消える!」

「人類が手にしてはいけない秘密なんだよ!」と、男は珍しく両手を広げて熱弁した。

 その姿があまりにも滑稽で、この男のどこが好きで結婚したのだろうとユウコは考える。
  
「はあ。つまり……その細胞のサンプル? それが将来的に人類にとって危険だから、それを運んでいた女を殺して、そのサンプルを捨てたわけ? へえ――あなたって、まるで神様ね」

 魂の行き先ひとつ解明できない哀れな幽霊たちが、人類の未来とは。

「俺単独の考えじゃない、上層部が秘密裏に進めていた計画だ。そのあと君の子を手にかけてしまったのは俺の個人的な暴走だ、認めるよ。恨んでもらって構わない」 




 ブブブブ――、ブブブブ――。

 男は素早くジャケットの内ポケットを探り、携帯を取り出す。

「――もしもし。ええ、私です――すみません、報告が遅れてしまいまして。はい、なんとか彼女を説得して……ええ、無事少年を門へ向かわせました。はい、助かりました。本当にご迷惑を……人手が少ない、こんな日に――」
 
 通話先はあの世か。
 貴崎祐を保護し、魂を導き送り出すというユウコの任務か無事完了したことを報告する電話。
 ユウコはこの電話をずっと待っていた。
 これでもうこの男には用はない。

 ポケットに手をつっこみながら天井を見上げ、時折満足気に笑って話をしている男の背後で、ユウコは浅く安堵の息をつき、小さな黒のハンドバッグに手を忍ばせた。

 指先に触れた鉄の塊を取り出して、両足をゆっくりと肩幅に開く。
 小振りなわりに掌の中でずしりと重い。
 
「全然やまない雪だな。君のせいで濡れて帰らなきゃならないよ。まったく、あの車気に入ってたのに……。その上勝手に待ち合わせ場所まで変えてくれるとはね」 
 男は携帯を切り、溜息混じりにトンネルの外を眺めた。

「だって私、消されたくないんだもの」
 ほんの少しの背中の動きで、男が笑ったのが分かる。
 やはり予想は当たっていた。
 ここまで手こずらせた上に秘密を知りすぎた自分を、この男が放っておく訳がない。

「それにね。あの車、前々から大好きだったの。あなたの事よりもずっとね」
 
 息子の死を知り、あの素敵なフォルムの車体をここぞとばかりに男から奪ったのはいいが、その車を利用して探そうとしていた大切なものは、ずっとその車のラゲッジに身を潜めていた。
 
 探し物――身近な場所にあるも見つからず。
 現世のおみくじの精度も大したものだと関心する。

 要するに、血眼になってでも探し出してやろうと息巻いていた貴崎祐の死体は、ユウコが座る同じ車体に最初から乗車していたのだ。
 殺された女が持っていたらしい大きな凍結用スーツケース。中身は捨てられ、元納まっていた大切であったろう代物のかわりに小さな白い裸体が冷凍保存されていた。
 助手席のシートや内装を交換した際に気がつくべきだったと、スーツケースの中身を見た時には舌打ちをした。
 
 運転席の天井に吊り下げていた宝物に、また思いを馳せる。
 成長した我が子を見つけ出し初めて接触した時の記憶。
 
 見よう見まねで言葉の意味も分からないまま「ようお参りくださいました」と、あどけない表情でこちらに手渡してくれた交通安全守り。
 目立たぬように他の御守りに紛れさせて、せっかくいつも視界に入る場所に吊るしていたのに、余程焦っていたのか、外し忘れたまま、死体が入った車ごと警察に引き渡してしまった。
 惜しい事をしたものだ。
 
 振り返った男が冷ややかな表情を取り戻し、ユウコの手元を眺めた。

「面白い発想だねぇ。幽霊をピストルで撃つってのは」

「でしょ? この銃特注よ。幽霊にもちゃんと命中するっていう保証書付き。知り合いに頼んで作ってもらったの。その人、一度死んで生き返ってるんだから。あなたが言う神ってのより、ずっと信憑性があると思わない?」

「君、そんな人物と……懲罰ものだな。なるほど、それでか――君が妙な振る舞いをしていたのは。まさかとは思うがね。君、自分の息子を生き返らそうなんて馬鹿なことを考えていたんじゃ……」

「安心して。考えていた、じゃないわ。考えている。過去形ではなくて現在進行形よ? ねえ教えて。自分の子供を信じるのと、神様を信じるのって、どう違うの?」
 ユウコが子供のように無邪気な声で問うと、男の顔は怒りに歪んだ。

「君は……君は何もわかっていない。君のしようとしていることは、神への冒涜だ! 何故
わからない! 如何に自分が愚かなことを言っているのか分かってるのか?」
 
 ふふとユウコは笑った。

「あなた程の人が愚問よねえ。いい? あの子が生き返ったせいで、人類が滅亡するって言われても、私は同じことをするわ。絶対あの子を生かせてみせる」

 信じる。
 あの時信じられなかったかわりに。
 信じられるだけの確証などこれっぽっちも無い。だからこそ、信じる――。
 
 ユウコは背筋を伸ばし肩を落として、腹から息を大きく吐き出した。
 さすがに銃を持つ手は震える。
 両手で押さえ込むようにして構えなければ照準がぶれてしまう。
 大丈夫――何度も練習したんだから――。

「ねえ。一つ言っていい? 私ずっと言おう言おうって思ってたの。
 私、死ぬ前からずっと――あなたのそういう所が嫌い」

 神の名の下に堂々と人殺しをする安っぽさがね。

 ユウコは出来るだけ軽い口調で言ってから、思い切り引き金を引いた。

 パスンッ。

 電車の轟音よりもずっと小さい軽やかな爆発音と、僅かな白煙を上げて、呆気なく手の中の塊は役目を終えた。

 男はたいして動揺することもなく左の脇腹に手をあて、スーツの裂け目から溢れ出てきた黒いものがべっとりと付着する掌を静かに眺めた。 

 「女って、ほんと。ほんと――勝手だよね」 

 さも不満そうに男はつぶやいた。
 そしてゆっくりと身をかがめてアスファルトに手を付き、溜息のような深呼吸のような、深い大きな息を吐き出してから、緩やかに地面に崩れ落ちた。

 その光景を見て達成感を覚えるような趣味もないので、特に興味がないといった風にユウコはさっさと銃をハンカチで包んでバッグに戻し、ピンヒールで心地よい音を響かせながらトンネルを出た。




 止むどころか徐々に重みを増している大きな雪片が、まだ震えの残る手の甲に溶けては、染み込んでいく。 
 何の因果か手に入れた透けない身体。生きていれば、もういい歳だ。
 
 遠くから聞こえる鐘の音に耳を済ませる。 

 あの子ならきっと大丈夫。なにしろ私の名前から一文字あげたんだから――。

 祐子は除夜の鐘に揺さぶられるようにして落ちてくる雪を見上げ、振り返らずに歩き始めた。


 

【後書】おっと! いかんいかん!!
    あと少しだと油断したいたら、かなり更新が遅れてしまいました。
    まあいつもの事ですが……スミマセン(-人-;)(;-人-)ゴメン
    やっぱ仕事が始まると執筆のスピードが減速するな~(-ω-;)ウーン

    なんて設定なんだっ( ̄□||||!! 自分でも思います、はい。
    ちゃんと理解できて付いて来てくれている方、いるのだろうか……一応あと二話あります。
    毎回ですがこの時期になると、次の新作で頑張ればいいやって思っちゃうんですよねヾ(´▽`;)ゝウヘヘ

    そして今、隣で息子と旦那が寝息を立てているという状況(笑)
    最近息子はパパの姿が見えなくなると「パパ、ウンコ?」って言っちゃいます。
    まあ「だからぁパパは今ウンコなの!」って以前息子に言ってしまったのは私なんですが(ΦωΦ)ふふ
    なんかパパはウンコ野郎って言ってるように聞こえてちょっと可哀想……すまんな、夫よ ̄m ̄

    更新遅い上にこんな話でスミマセン(^^;)
    出来るだけ早いうちにコメントのお返事アップさせて頂きます♪♪
    ではではm(_ _"m)ペコリ     

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二度瞬く [第二十一話]


『凍える除夜』


 貴崎が思うに、悪ければ、またあのピンヒールが頭上を舞う。
 良くても、そんなことだから彼女に浮気されんのよと罵倒されることは避けられないだろう。

 なにしろ成宮の部屋を出たのが、待ち合わせ時間の五分前であった。
 そうすると、どう多めに見積もっても待ち合わせの時間には間に合わない。うまくいけば数分の遅刻で納まる可能性はあるが、とにかく十一時四十五分を確実にまわってしまう事だけは確かだ。

 大晦日の夜には初雪がちらついていた。
 薄っすらと積もっているところからして、降りだしてからしばらく経っているのか。
 夢の中と同じだ――。
 まるで幼馴染の夢の中にまだいるような、淡い錯覚を覚えた。
 
 幽霊らしく上空をひとっ飛び、といければそれに越したことはないが、あいにく貴崎の透けた体は、はあはあと息を切らし、時折足を止めては膝に手を付き地面を睨んで汗をたらしている。
 成仏するための待ち合わせ場所にスムーズに辿り着くためにも、やはり生きている間の体力作りは不可欠。運動部に入っておくべきだったと後悔する。
 個人競技という点を重視しすぎて、弓道部なんぞに入部したのがいけなかった。

 


 小さな水音が響くトンネル内、蛍光灯の濁った光のもとに姿を現した喪服の女は、想定していたどの反応も垣間見せることなく、アスファルトを叩く硬い高音を反響させて貴崎の前に近づいてきた。

 驚いたのは、ユウコが一人ではなかったこと。

「おそかったわね」
 静かに口を開いたユウコの背後に、スーツ姿の男が一人。
 男は貴崎の方を一度ちらりと振り返っただけで、トンネルの向こうを気にするように、またこちらに背を向けた。
 黒縁のメガネにオールバック、なんとなくだがユウコと同じ、あの世の役人だろうと勝手に想像する。

「ごっ、ごめん、結構走ったんだけどさ。まだ……間に合う?」
 恐る恐る聞くと、ユウコは中腰になり、哀れむような悲しい目をして貴崎を真正面から覗き込み「ええ」と消え入るような声を出した。
 ユウコの顔はいつも以上に血の気がなく、疲れきっていた。

「泣いたのね……? 可哀想に」と独り言のように言い、綺麗な形の爪先が、やっと乾いた貴崎の目尻に触れる。
 やはり声に力がない。
 いつもの舌足らずな言葉遣いや、きつい口調も見受けられない。それどころか、今にも泣き出しそうな辛い表情をしている。

「どう? ちゃんと心の準備は出来た?」
 優しい口調の問いかけに貴崎が答えずにいると、向こうに突っ立っていた男が振り向いた。

「ユウコ。そんな言い方をしては、その子を怖がらせてしまうだけだろ?」
 男の声に、ユウコの表情は強張ったように見えた。

「貴崎君だね? 今回は我々の部署の手違いで、君には多大な迷惑をかけてしまった、本当に申し訳なく思うよ。その上、こんな無駄足をさせてしまって……、本来ならもっと早くに迎えに来れる予定だったんだが――、君の世界の役所同様、こちらの役人も全員が有能とは限らなくてね――」
 男は一度言葉を切り、目を細めてユウコを背後からじろりと見下した。

「私自身、年末の忙しい時間を縫って、君を直接迎えに来たりもしたんだが、どうやらいろいろと伝達ミスがあったようだ――随分無駄足を踏んだよ。まったく、挙句、よりによってこんな日に。上が一番神経を使う、敏感な時だ……」

「ねえ、もういいじゃない。そんな小言は後で私が聞くから」
 ユウコが怖い顔をして立ち上がる。
「ユウコ。君はどうしてそんなに焦っているんだい? 何も一秒二秒を争うような事じゃないだろう。もう少し落ち着いて着実に事を進めようとは――」

「ねえ祐……、ちゃんと私の顔を見て。大切な事だから、今から言う事をしっかり聞いてね……もう時間がないのよ」
 そんな事を言われなくても、既に貴崎はユウコから目が離せなくなっていた。
 明らかに雰囲気がおかしい、いつものユウコでない。
 
 背筋をかがめて真正面から貴崎を見据え、子供を諭すように両手を取って、慎重に言葉を選びながらユウコはゆっくりと話し出す。

「いい? 今から、あなたが一番大切だと思う場所に、行ってほしいの。わかる? あなたが一番――」

「おいユウコ! なんだその回りくどい言い方は――」
 男が眉をひそめてこちらに近づく。

「貴崎君、難しい話じゃない。今から君の高校の正門まで一人で行ってくれないか。
それだけなんだよ。それで無事君の手続きは全て完了する。
本来なら送迎係の者が付き添うべきなんだが、今日は生憎人手が足りなくてね。私が直接送り届けてもいいんだが、車が無い上に、彼女とも少し話をしなければいけないようだ……。急ぐことはない。君のような浮幽霊は優先的に向こうの入り口が開くようになっている」

 男が話す間も、貴崎はユウコの顔から目をそらせずにいた。
 三十路を過ぎた女のこんな表情を初めて見たせいか、それともあの男のせいか、何かとても、良からぬ空気が漂っている。
 何かある――。
 この、何かに押し潰されそうな張り詰めた瞳の向こうに。
 悪運の強さだけを誇る、貴崎の第六感が囁いた。

「あ、あのさ……」
「なに?」
 少し考えて幽霊は小声で囁く。
「俺、そういえばユウコの、子供……探し出すって大口叩いたよな……。ごめん、俺、自分のことで精一杯で、全然役に立てなかった」

「いいのよ、そんなこと」
 久しぶりにユウコが笑った。
 そのはにかむような笑顔は、やはり誰かに似ていると貴崎は思う。

「言ったでしょ? この世は矛盾だらけで、全ては平等に不平等だって……だから善人だって死ぬし、悪人でも―」

「ユウコ、君の話は本筋から脱線しすぎているね。それに聞く者が聞けば、まるでその――重大犯罪を促しているようにも受け取れなくはない。まさか君は――」
「ねえ少しは私のこと信用してくれてもいいじゃない!」
 男は鼻で笑った。

「さあ貴崎君。さっさと高校の正門に行くといい。君の一番大切な場所なんだろう? 私は彼女と大切な話をしなくてはいけない」

 ユウコの手が離れるのを確認して、貴崎は違和感を残したまま背を向けた。
 でもやはり、解せない。
 数歩進み、首だけ振り返る。

「……学校の正門。で、いいん、だよな……?」

 眼鏡の向こうの男の視線が、ユウコの頬に突き刺さる。

「ええ、そうよ」
 女は二度瞬いた。

 突如、頭の上から轟音が響く。
 電車の通過する音。

「祐――っ! 走っ――……ッッ! もう――……が鳴――!」

 脳天から身体を裂くような騒音に、悲鳴のような女の叫び声が重なる。
 
 鞭打たれたように、貴崎は不快なトンネルの中から降雪の中に走って逃げ出した。

 それと同時に、遠くから鐘の音が響く。




 だから、弓道部は運動部じゃねえんだよ――。
 やり場の無い言い訳を何度も繰り返して、貴崎はもつれた足を止めた。
 幽霊なのに息は上がるし眩暈はする。
 
 とてもじゃないが高校の校門まで全力で疾走する程の体力はない。
 ユウコの口調や様子からして、ゆっくりしている暇が無いことだけはわかっているが、もうそんな事は陸上部の幽霊に言ってくれと、貴崎は開き直って半分以上残る道のりを歩き始めた。

 だいたいどうしてあんなにも学校から離れた所を待ち合わせ場所に選んだのか。むしろ校門で直接待ち合わせれば良かったのではないかと、もうろうとした頭に苛立ちが増す。

 そもそも気にかかる事が多すぎて、指示された場所に直行する気にはなれない。
 人に命令されると素直に言う事を聞けないタイプなのだ。
 何か裏があるのかも――。
 ユウコの上司らしいあの男は急がなくてもいいと言うのに、ユウコは走れと言うし、だいたい何なんだ、一番大切に思う場所って――。
 貴崎が一番大切に思う場所が、高校の正門であるはずがない。
 一番大切な場所は――。 
 それにあの時ユウコは間違いなく、二度、瞬いたのだ。

 雪化粧がほどこされた懐かしい生垣の先、赤い光に足を止めた。
 住宅の壁に反射する回転灯。

 パトカー……?

 ポケットに手を突っ込み、首を伸ばしてT字路の先を覗くと、思ったとおりパトカーが警光灯を回し停車している。
 サスペンスドラマでよく見る立ち入り禁止の黄色いテープが道路をふさぐ。
 パトカーが停められている道の突き当りは、貴崎神社の境内を囲む玉垣だ。

 足が自然とT字路に向かったところで、背後から声がした。

「よぉ、有名人」

 はっと振り返ると――誰もいない。

「それ嫌味か?」
 
 足元に違和感を感じて下を向くと、そこには見覚えのある不細工なマルチーズが、貴崎の靴を器用に前足で踏ん付けていた。

 

 
 世界広しといえども、こんなに不細工なマルチーズはそういない。
 なぜなら、こいつはマルチーズでは無いから――いや、それは成宮の夢の中での話か。

 こちらを見上げる飼い犬のつぶれた鼻先眺めていると「お前の顔見とったら、シャンプーしてほしなる」と、それは喋った。

「しゃべ、っ……!?」
 
 やはりマルチーズではなかった。
 犬でもなかった。

「なんや、喋ったらあかんのか」
 仰け反る貴崎の靴に、マルは前足を二本揃えて乗せた。
 
「でも……、あれは、夢じゃ……」
「誰が夢じゃいボケ。お前は夢と現実の区別もつかへんのか、ド阿呆」 
「しゃべっ、た……、マルが……しゃべ……」
「だから、もう俺はマルやない。ゴッドや言うたやろ、何べん言わせるねんアホか」 

 マルはふんと鼻をならして、また小さな尻を振り振り歩き始める。

「マル……!?」
「俺は今散歩中じゃ」
「散歩?」
 見たところ、単独で歩いている迷い犬にしか見えない。
「おお自主的に散歩しとんじゃ。お前んち、今ごった返してるからなぁ、俺の散歩どころやないねん」
「ごった、返……?」

「お前はいつまでも元気に変わらずアホでええのお、羨ましいわ俺。自分の死体が見つかっても、フワフワのん気にしとれるお前がな。ほんま、おかげで楽しみにしてた年越しのテレビ番組見れへんやけ!」

「俺の死体……?」

 なんや知らんのかと、小型犬は足を止めた。

「お前の死体、今晩発見されとったぞ――裏の鳥居に停めてあった車のトランクの中から。安心せえ、買ってきてすぐ冷凍したみたいに新鮮そうやった」

「そんな……。それ、成宮の夢と同じだ……」

「祐。お前はほんま、つくづく阿呆や。ええか? それは夢やない、現実や。夢と現実の区別ぐらいしっかりつけんかい」
「いやでも、あれは確かに成宮の――」  

「だからな、祐。そういうところが浅はかやから、彼女に浮気されんねんぞ?
いいか? 確かに夢やったかもしらん。途中まではな。
お前ちゃんと案内の小冊子読んだかあ? 夢っちゅうのはまだまだ未解明で危険ですと、アホが読んでも分かるように書いてあったやろ。生きてる人間の脳っちゅのはな、想像もつかんような能力をもっとんねや。夢の中からひょっこり現実の世界に繋がってしまうてなことも、絶対有り得へんとはよう断言出来ん」

「……夢と現実が――? ないだろ、そんなの」
 マルは目を細めて笑った。

「なんでや、科学で証明できへんからか? ほな聞くけど、じゃあ俺はなんで喋ってんねん。犬が喋るんは、お前のボケた幼馴染の夢ん中でだけの事と違たんか? 
 夢と現実は繋がらん、犬は人間の言葉を喋らん、確かにそら常識や。でもな、人は死んでも幽霊なんかにはならん、これはもっと常識やぞ?」
 小型犬の頭にわた雪が積もる。

「科学で証明出来へんものは、この世に存在せんと大口叩くんやったらなあ、まず自分のその透けた体を科学で証明してみんかいコラ!」
 犬は巻き舌で怒鳴り、鼻に積もった雪をぺろりとやる。

 貴崎は自分の両手に視線を落とした。
 深々と降り注ぐ無数のこな雪が、目の錯覚のように透き通った白い掌を突き抜け落ちていく。

 確かに存在している。
 夢ではない。
 現実と繋がる夢よりも、喋る犬よりも、不確かなものが、確かにここには存在しているのだ。

 成宮の夢は現実と繋がっていた。

 と言うことは、あの向こうには――死んだ貴崎の身体が。
 パトカーの先に見える玉垣を振りかえった。
 
「行く気か? やめとけやめとけ!」
 マルが嘲笑いながら歩きはじめる。

「今野次馬だらけやぞ。そろそろ報道関係も集まりだしたしなぁ。それから――」
 白く染まったアスファルトの上に次々と捺されていく、梅花のような形の足跡を追いかける。

「それから、今は怖ぁい連中がうろうろしとる。この世の者ではない恐ろしい警備員がなあ――。お前みたいな浮幽霊は見つかったら、えらい目に合うぞ。まあそれも見物やけどなあ、紅白よりは面白そうや」

 貴崎は生唾を飲み下し、一歩下がって辺りを確認した。
「なんで、俺の死体にそんな、警備付いてんの……?」
「アホぬかせ、どこのボケカスがお前の死体なんぞにわざわざ警備つけんねん。警備してんのは、神社や神社や! お前んちの境内の方!」
「境内……? なんで?」

 犬は足を止めて、意味ありげに貴崎を見上げた。
 そして不気味に微笑む。

「なんでや思う?」

「なんでって、そりゃ……境内の中に、警備するようなものがあるから、だろ? お宝、とか……?」
「お前なあ、自分家にお宝あるかもとか、本気で思ってん……? 可哀想な子やなあ。やめてくれや、悲しなるやんけ。お前の家にある一番高価なもんは、去年親戚のじじいからもらったハードディスクレコーダーやんけ。忘れたんか?」 
 言われてみればその通りだ。

「じゃあ……なんでだよ。なんで、俺ん家に、そんな危ない警備がついてんだよ」 

「さあな、それくらい自分で考えろ」
 マルはまた鼻に積もった雪をぺろりと舐めて、早足で歩き出す。

 境内を警備する理由――。
 境内の中にお宝があるわけではない。だいたいお宝があるなら毎日警備をしなくてはいけない。
 なぜ今夜だけ。
 大晦日の夜にだけ、厳重なあの世の警備とやらをしくのか。

 それはやはり、今晩限りの期間限定で、境内の中に、警備を付けなければならない何かが出現すると考えるのが妥当か。
 一晩限定、大晦日の夜にだけ神社の境内に現れる、お宝。
 貴崎は緊迫している我が身の状況を忘れて、考えをめぐらせた。

「そのお宝ってさあ、食べれる?」
「おい、連想ゲームとちゃうねんぞ」
「じゃあそのお宝は、俺や家族が見たことある?」
 マルは無言で歩き続ける。
「それって、大きい?」
「見てすぐわかるもの?」
 いくつか質問を投げかけるが、口が悪い割には頑固な犬だ。

「俺がもらうと嬉しい?」
 上を向いた短い尻尾が、ぴくりと振れた。
「あ、今動揺した? 俺が、もらうと嬉しい物なんだ――ってことは、幽霊が手に入れると、嬉しいお宝……?」

 マルは白い溜息を吐いて足を止めた。 
 そして降り止まない雪を見上げる。

「なあ、祐……。人の世ちゅうんは矛盾だらけで実に不平等や、全てのもんに別け隔てなくな。いくら善人でも、死ぬときゃ死ぬし、どんだけ人殺した悪人でも――生き返るときは、生き返る」

「生き、返る――?」

 貴崎がしゃがんでマルの顔を覗き込むと、マルは前足をそろえてその場に座った。

「せや。犬は喋らん、夢と現実とは繋がらん、人は死んだら生き返らん、そんなことはな、善人やから死なん言うてるのと一緒や。そうあるべきやけど、そうでない時もある。そうでない時の割合が違うだけでな。何億と犬がおったら中には喋る奴がおるし、何万分の一の確立で夢と現実が繋がってしまう事だってある。でもそんなことは、ものすごい速さで回ってる、るつぼの中では大した問題やないねや。犬が一匹喋れたところで地球は止められんやろ?」

「死んだ人間が、生き、返るなんて……」

「この世は矛盾の塊や、残念なことにな。お前が思うほど、ちゃんとは出来てないねん」

 子供の頃には完璧だと思っていた大人の世界が、あまりにも適当で未熟だと薄々気付き始めた時の感覚に似ている。

「人が生き返るって……、それってもしかして、俺でも――?」

「言うたやろ? 確立の問題や。例えるのも面倒臭いほどの、途方も無い確立やけどな」
「うちの境内に現れるお宝と、どう関係あんだよ」
「だから――それも含めて、結局は運や、運! お宝お宝て、お前は海賊王か!? もう俺が言えるんはここまでやからな! あとは自分で考えろ。俺だって死にとうないんじゃ、お前のせいで、ミンチ犬にされてハンバーガーに入れられたらどないしてくれるねん」

「じゃ、なんかさ。ヒントは? ヒント」
「マジでかお前、信じられへん」と犬は軽蔑の眼差しを向ける。

「なんぼ聞かれても一緒や! 人の運っちゅうのは、だいたい一年通して流れが決まっとんねん。頑張ってもあかん時はあかんし、頑張らんでもいける時はいける。運を味方に付けたかったら、今からおみくじでも引きくされ! お前昔から悪運だけは強いねんから、悪あがきしてでも地球の矛盾につけ込んだらんかいボケ」

 あっ――。
 そのとき貴崎はひらめいた。
 大きなひらめきではない。
 霧を掴んだように手ごたえの無い、気のせいとも言える微かな思い過ごし。
 でも、もうそれに賭けるしかない――。

「言うとくけどな、祐。お前が考えてるのは、万が一ほども簡単な事やないぞ? 何も聞かんかったことにして引き返す言うのも、一つの道や。それ忘れんなよ」

 境内から立ちのぼる黒々とした小高い山を睨み上げていた貴崎は、にやりと笑って小型犬を見下ろした。
「おまえ……むっちゃ悪い顔してんな……。あかん、なんか……後悔してきた、俺。またいらん事言い過ぎた気ぃする……本性の優しい部分出てしもた。あかん、俺……俺、そんな自分が、……好きや」

 犬の独り言を無視して貴崎はさっそく走り始めた。
 さっきよりもずっと足が軽やかに動く。

 


 我ながら陸上部並みの走りであった。
 目的地が、目と鼻の先だった事も幸いした。
 
 遠くから響く除夜の鐘。
 今幾つ目だろう。

 明かりの消えた二階の部屋を見上げてから、貴崎は門に手をかけた。

 貴崎の死を知った今、幼馴染が自宅にいる可能性は少ないだろうと覚悟をしていたが、思いがけず玄関には見慣れた大人サイズの靴が並んでいる。
 
 起きているなら、気を失わせて寝てもらう他ない。
 本棚に飾ってあるガラス製の写真立てを使おう。重たいし頑丈そうだから、脳震とうくらいなら一発でなんとかいけるだろう。透けた両手でも、今ならちゃんと掴み上げられる自信がある。 

 二階へ駆け上がり部屋へ入ると、驚いたことに、成宮はまたベッドで眠っていた。
 泣いているのだろうかとも思ったが、膨らんだ掛け布団は微動だにしない。

 手荒いまねをせずに済んだのは嬉しいが、素直には喜べなかった。
 
 愛しいはずの貴崎の死を知って、どうして寝ていられるのか。
 所詮は貴崎への想いなんて、その程度だったということなのか。
 いやそんなはずは――。

 悲しさと悔しさ、動揺が入り混じる。
 下唇を噛んで俯きかけた時、光るものが視界にとまった。
 
 窓から射しこむ街灯に照らされた机の上、水の入ったガラスコップ。
 自分が部屋を出た時には無かったものだと手を伸ばす。

 指先にふれた軽い銀紙状のものを手に取り、貴崎は首を傾げた。
 
 これは、たぶん……薬の包装シート――?
 どうしてこんなものが、こんなに大量に――。
 
 この状況が意味する事を、貴崎はじっと考えた。

 遠くから聞こえる除夜の鐘が、何かの期限をカウントダウンする。

 大晦日の夜、どうしてこの世はこんなにも、二人にだけ冷たいのだろう。
 
 温もりのない凍えた部屋で、貴崎は動かないベッドの上の塊を呆然と見つめ、立ち尽くした。



【後書】もう……ダメだ○o。.(´c_` *)zZZ.....
 ここまで読んで下さった方、ただただ感謝です(人-)謝謝
 明日にでも、新年のご挨拶と、コメレスを<(_ _)>
 ( ゚д゚)ノ寝落ちー

 
  
   

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二度瞬く [第二十話]

『Last dream』


 夢だ、夢だ、夢だ、夢だ、夢だ――。

 何度も唱えて目を瞑ると、瞼の裏に鮮明に焼き付いたあの乳白の肌が、溶け出すように流れ出でる。

 最初は、人形かと思えた。
 
 遠目にもわかるほどに細部まで丹精に作りこまれ、いかにも奥ゆかしい、人形劇に登場するあやつり人形というよりは、ちょうど人形浄瑠璃で人形遣いが操るような類のものに見えた。

 両膝を抱えるように小さく折りたたまれて、それは眠っているかのように瞳を閉じていた。
 着物を着せ、命を吹き込まれる前の、ただの人形。
 まるで呼びかければ今にも瞼を開けそうな――。

 でも、それは違った。

「安藤さん……まずい事になりました。垂れ込みがあったとおりです……、それにこれ――どう見ても他殺だ」

 男はそれまでとは違った低く静かな声で言い、スーツケースを半分も開けずに素早く蓋を閉じた。
 
 他殺――?

 その言葉と、誰かを思わせる人形の美しい顔の面影と、ユウコとの会話が一致した時、貴崎は声も出せずにその場に腰を抜かした。

 あれは今から服を着せ命を吹き込まれる人形などではない。
 命を奪われ、服を脱がされた後の――自らの亡骸だ。




 それから貴崎は逃げるようにして石階段を這い上がった。途中何度も袴のすそを踏んで転げ落ちそうになっては手をつき、殆んど四つん這いで駆け上がったと言ってもいい。

 最上段にたどり着き、あの浄瑠璃人形と同じような格好で、膝を抱えて小さく丸くなって震えた。

 これは幼馴染の夢。
 そうだ、ただの夢だと、自分に何度も言い聞かせる事だけに専念した。
 整わない呼吸と、首筋を伝う冷や汗。
 不安になると指を噛んでしまう小さい頃の悪い癖が、無意識のうちに小さな震える爪を口元に運んでしまう。その少女のような清らかさを匂わす指先が、先ほどの人形とまったく同じだと気付いて怖くなり、また目を閉じて無闇に首を振っては身体を震わせた。




 どれくらい経ったのだろうか。手の甲に冷たい刺激を感じて、しゃくりあげながら濡れた顔を起こすと、夜霧か朝靄か辺りは白み、いつのまにか仄明るい。
 手に落ちてきたのは雨粒ではなく、驚いたことに雪だった。
 ここは夢の中だから、成宮か望めば雪も降る。

 ずいぶん時間が経過したのか、先ほどの恐怖が夢であったかのように遠く思える。
 いや実際夢の中の話で、幼馴染の脳が創り上げた虚構の世界に過ぎないのだ。 

 貴崎は目元を腕で拭い、ぼんやりと雪化粧を始めた虚ろな世界を眺める。

 永遠に続くかのような長い石階段が足元から降下し、それを両脇から囲むように立ち昇る白い靄を、黒々とした針葉樹の葉が突き刺している。
 ここも鎮守の森の一角だと主張するような厳かで神聖な空間を、落ち続けるあわ雪がさらに深々と冷やしていく。

 今頃、幼馴染はどうしているだろう。まだ、あの可愛い天使が隣にいるのだろうか――。
 もしかしたら、もう境内にはいないかもしれない――。
 二人でどこかに遊びに行って――、もうどこかの暗がりで抱き合い――、もう離れられない関係になっているかも――。

 そうだとしても――それは、喜ぶべきことなのかもしれない。
 いや、喜ぶべきなのだろう。

 今の貴崎には、素直にそう思うことが出来た。
 自分の亡骸を目の当たりにしてやっと実状を受け入れることが出来たのか、それともこの水墨で描いたような崇高な空間による外面的な影響か、とにかく今は取り乱して泣く事もせず、思い人の新たな道筋を穏やかな気持ちで受け入れられる。

 願わくば――そう、貴崎の死を知り、深く刻み込まれるであろう成宮の心の傷が、早く癒えほしい。
 出来れば貴崎との思い出は忘れないでいて欲しいが、それが成宮のためにならないのであれば、忘れてもらっても構わないと思う。

 そして、貴崎の身体がいつか灰になり、土にかえり、朝霧となって雲に浮いたら、雪となって、あのさらさらとした肌に、こんなふうに溶けて染みこみ、ひと時のうちでも幼馴染の血潮になることが出来たら、どんなに幸せだろうと思う。
 自分の身体のほんの一滴でいいから――。
 成宮の身体の一部になれたらと思うと、嬉しくてたまらない。 

 成仏した後がどんな世界であるかは知らないが、生まれ変わるよりも、今貴崎が考えている来世の方がずっと魅力的でわくわくする。
 
 なんだ死ぬことって、この尊い静けさの森へかえっていくだけなんだ――。

 きっとそうなる。
 
 なんとなく貴崎はそんな気がして安心し、白い息を吐き出してから、あわ雪が溶けた手の甲にそっと頬をのせた。


 

「祐――?」

 優しい声音に薄目をひらくと、にじんだ視界に、その人の顔があった。

「とっ……とぉ、ま……」

 水墨画の一部となりかけていた貴崎は、はっと身を起こして、こちらを覗き込んでいた成宮の前に立ち上がる。

「祐、やっぱりここにいたんだね。ずいぶん捜したんだよ? さっきここにも一度来たんだけど……祐いなかったから。どこに行ってたの?」

 貴崎が何も答えずにいると、
「袴泥だらけだよ、祐? もしかして、またかくれんぼしてたの?」と成宮は笑って、拗ねたように首を振る貴崎の足元にしゃがみこみ、袴についた土を手ではらった。

「もうどこにも行っちゃだめだよ」
 そう言って貴崎を抱き寄せる。 
 耳元で囁く温かな声に眩暈を覚えた。

「冬馬……。今日は、大事な話が――」

「大事な話? なになに? もしかして――プロポーズ!? それならダメだよ。俺がするって決めてるから。もう言う台詞も決めてあるんだ」
「いや……。そんなんじゃ……」
「じゃあ、なに?」
 嬉しそうに貴崎の顔を間近から覗きこみ、ごく自然にちゅっと音をたてて貴崎の唇に触れるだけのキスを落として、「なに? 祐」と成宮はもう一度聞いた。

「そっ……それは――」
 そんなに心を弾まされては言いづらくなるではないか。
 困った貴崎は成宮の腕の中から逃れて、階段の最上段に腰を下ろした。

「ねえ、祐。場所かえようよ、寒いだろ? どこか暖かいとこ、どこがいい? 祐が好きそうな場所は、そうだな――」 

「だっ、駄目だ!! ここじゃなきゃ……!」
 咄嗟にそう感じた貴崎は、慌てて叫んだ。

 最後の場所は、やはりここでなくてはいけない気がする。 
 
 小さな絶景と更に小さな海、そして鎮守の森があって、貴崎と成宮がいて、二人の思い出が沢山転がっていて、他には何も詰まっていない、この空間でなくてはならない。
 
 オレンジ色に染まるこの場所でかくれんぼをした事も、三日月が浮かぶ下で星座を教えてくれた事も――この場所には、二人の全てがある。

 ふうと諦めるように後ろで息を漏らした成宮は、雪空を見上げて「おかしいな……」と不思議そうにつぶやいて、着ていたダウンジャケットを貴崎の肩にそっと掛けてから、石段に腰をおろした。

「なに? 大事な話って」
「あ、あの……」

 どこか嬉しそうなわくわくした声に、貴崎は答えづらくて視線を背ける。

 薄っすらと浮かんだ町並み、その向こうには――やはり海が無い。
 天気がこう雪模様では仕方がないと思いかけたところで、貴崎はふと考えた。
 そういえば成宮の夢の中では、どんなに天気がよくても、ここから海を眺められた覚えがない。

「冬馬……」
「なに?」
「俺……なんとなくだけど――わかったんだ」
「わかったって、何が?」

「ここから海が見えないのは、天気が悪いからじゃなくて――きっと、お前が海を見ようとしてないからだ」

「海……?」
 成宮は拍子抜けした声をあげ、広がる景色にちらりと目をやり「ここから? 海なんて見えたかな……」とさも不思議そうに首をひねった。

 やっぱり――と貴崎は顔をしかめた。

 どうして成宮の夢の中では、ここから海が臨めないのか。
 それはたぶん、成宮自身がこの場所から海が見える事を知らないから。
 
 幼い頃から幾度となくここで肩を並べて座ってきた。てっきり貴崎と同じ景色を見ているとばかり思っていたら、そうではなかったらしい。
 ささやかに浮かびあがる海を愛でる貴崎の隣で、この幼馴染はいつも別の風景を眺めていたのだろう。

 恐らく、今のように――。 

「冬馬……、俺のことばかり見てちゃ駄目だ……!」

 成宮の方へ向き直り、貴崎はこちらをじっと見つめていた褐色の瞳に、口調を強めはっきりと言った。

「え、なに……? 祐のこと、見てちゃだめなの? なんで?」
「駄目なんだよ! どうして分かんないんだよ……!」
「祐、どうしたの? 大事な話って、これ? ……もしかして、俺のこと嫌いになった?」
 大きな瞳が曇る。
 不安そうに伸びてきた手が、貴崎の手に重なる。
 
「ち、違う! 冬馬のことは大好きだけど……、大好きだけどこれじゃあ駄目なんだ」
「駄目って、なにが?」 

「冬馬はもっと、ちゃんと周りの世界を見なきゃ駄目だ。俺なんかよりずっと素敵な人がいっぱいいて、綺麗な景色がいっぱいあって、楽しい世界がいっぱいあって、それから――。お前のことを心から愛してくれる人は沢山いるんだから、そういう人とちゃんと向き合わなきゃ……駄目だ」

「そんなの……無理だよ。 だって祐は俺の――」

「だから、駄目なんだってば!」

 貴崎は衝動的に立ち上がり、拳をぐっと握り込んだ。

「どうして分かってくれないんだよっ! 俺が……俺がいなくなったら、お前どうすんだよッ!? 俺が死んじゃったら、後を追うのか!? そんなの絶対駄目だからなっ! 俺がいなくても、いなくなっても、ちゃんと学校行って、飯食って、部活して、それから――、それから、お前のこと本当に愛してくれる人と、ちゃんと――」 
 
 そこまで勢いで言って、急に言葉が出なくなった。
 変わりに溢れ出てきたのは大粒の涙だ。

「祐……? どうしたんだよ急に……」
 うろたえ立ち上がった成宮の胸に飛び込み顔を隠すと、温かい掌が髪をなでる。
「誰かに何か言われた? 祐と俺のこと、ひどく言う奴でもいたの? ねえ、祐?」
 子供をあやす様に言う成宮に、背中を引きつらせながら首を横に大きく振る。

「じゃあ、もしかして……また怖い夢でも見たの、かな……? 祐?」

 甘くも艶っぽくもない、それはひどく優しい、母親のような落ち着いた声だった。

 そうだ――怖い夢を見ていた。
 
 まるで、ずっとこの夢の中にいれるような。
 自らの手で、少しでも幼馴染の現実を変えてやれるような、少しでも幼馴染を幸せに出来るような、そんな錯覚、勘違い――夢のような夢――とても幸せな、怖い怖い夢を、見ていた。
 



 ピピピピピピ――。

「目覚し時計? どうして……」

 空間いっぱいに、けたたましく鳴り響く電子音。
 貴崎の背中を撫でていた成宮は不審に空を仰ぐ。

 時間だ――。

 さよならには時間制限がある。
 目覚まし時計は、夢に入る前に貴崎がセットしてきたものだ。
 現実世界では年明け前の十一時半。
 ユウコとの待ち合わせ時間を考えた、ぎりぎりの時間だ。

「今日の夢はおかしな事だらけだなぁ……」と溜息混じりに成宮は言った。

 背中から温かい感触が離れていくのを感じて、貴崎はびくりと肩を震わせた。

「い、嫌だッ! 行くな! 行っちゃ嫌だ……冬馬っ! とぉま――! 」

 反射的に、つかんでいたトレーナーにしがみ付くように身体を寄せ、涙声で叫ぶ。

「大丈夫だよ、どこへも行かない」

 言ってるうちに電子音はやみ、自分の咽ぶ音だけが耳につく。

「祐? 俺はずっと祐の隣にいるよ? 祐の隣で、いつも祐のことばっかり考えてるから、だから安心して――」




 ルルルルルッ、ルルルルルッ、ルルルルルッ――!!

 さっきとは違う電子音。
 
 それも今度はとびきり忙しなくて、鳴り止む気配がない。
 携帯の着信音だ。

 はあと溜息を吐いて、また空を見上げる成宮。

 あまりの耳障りな音に、どうあがいても成宮の眠りは妨げられつつある。
 びちゃびちゃにしたトレーナーから顔を離すと、涙に沈んだ風景が徐々に薄まり始めていた。
 
 時の流れを受け入れるように、貴崎は胸が張り裂けそうな思いで、重なっていた温かな手を静かに振りほどいた。
 そして一歩後ずさる。

「祐……、また明日も会える」
 薄れゆく夢の中で、貴崎を安心させるように、成宮の指先の温もりが頬を滑る。 

「ね? 祐。明日も、明後日も、明々後日も――。俺達ずっと一緒だろ?」
 
 明日の成宮の夢には、貴崎が登場するかもしれない。
 でもそれは、貴崎であって、貴崎でないのだ。

 もうこれで、さよなら、なんだ――。

 自分と目の前の微笑みに心の中で言い聞かせ、瞳を閉じた。

 でもどうしても、最後の一言が出てこない。

 だから貴崎はまた、最後の最後で、大嫌いな嘘をついた。

 大粒の流れで頬を濡らし、小さな幽霊は一度頷いてから、愛しい顔を見上げて、二度瞬いた。

 大好きな人の手の甲に、雪が染み込んでいく。




「もしもし――? ……ああ、秀直さん。何ですか、こんな時間に……」

 すぐさまベッドから立ち上がり時計を見ると約束の時間まで、あと五分ほどしかない。
 電話の相手は兄であるらしく、貴崎は背後の会話を気にしながら、ドアへと急いだ。

「あ、もしかして、祐が帰って来たとか? ――え、違うの? 聞きたいこと? ……ああ、祐が付いて行ったって男のこと? う――ん……どんな顔って言われても……。おじさんの知り合いってのは嘘だったんでしょ? ……祐から何か連絡でもあったんですか? 秀直さん? え、酔ってます? 何かあったんですか? そんな声出して」

 ドアの前で一度足を止める。

「…………は? 死んだ? って……祐が――――――? 殺され、たって……そんな――。それ、嘘、で、しょ……? ――そんなの……だって。――――そんな、の」

 携帯電話が床に落ちる音がした。
 
 幽霊は歯を食いしばり、後ろを振り返らずに部屋を後にする。

 


【後書】毎度遅くなりましたへ( ̄ρ ̄へ))))) ウヘヘヘヘ
 しっかり日が変わってしまいました……。

 明日(もう今日ですが)朝から一族でカニ旅行です。Σ(- -ノ)ノ エェ!?
 と言う訳であまり夜更かしも出来ないので、かなり手直しを省いてますが、もういいやドン!ってアップに踏み切りましたm(*- -*)m
 遅いクリスマスプレゼント、とは言えませんが(^^;) まあこんな感じで、ダメ?乂(>◇< )ダメ!
 本当は年内にあと二話アップしたいのですが、厳しいかな……。内一話はなんとびっくりユウコ視点なので、番外に飛ばすかもしれません(ーー;)

 一泊旅行なので、いつものコメレスが明後日の夜もしくはその次の日になってしまいそうです。
 本当に申しわけないm(_ _"m) でも多大なやる気を頂いております♪♪+。:.゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚ァリガトゥ

 ああ、病み上がり(息子のノロウイルスをくらった……)なのに、カニなんて食べれるのかな……。
 いや! 喰ってやるね! なんとしてでも!!(カニにはいい迷惑)
 ではでは。
 (*^-')ノ☆;:*:;☆“Merry*Christmas”☆;:*:;☆ヽ('-^*)&(*´ω`)o。゚:.・+GOOD NIGHT+・.:゚。o(´ω`*)

テーマ : 自作BL連載小説 - ジャンル : 小説・文学

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